期間限定の恋人ならいらない



 あったかくて、もぞもぞして、目が覚めた。


「……ん……」
 カーテンの隙間から差し込んだ僅かな朝日を感じて、青年が身じろぎする。
 うーん、と呟いて伸びをしようとして、彼はなぜか体がうまく動かないことに気づいた。
「?」
 夢と現の境にいた彼の意識は、その違和感によって現へと急上昇し、ぱちりと彼は両目を開く。

「――― !? 」
 数度の瞬きの後、彼は目をまん丸に見開いた。

 爽やかなる目覚め―――in 誰かの腕。

 もぞもぞしていたのは、頬をくすぐる髪のせい。
 柔らかい茶色の髪が視界の隅に見えている。
 そして、穏やかな寝息。右の肩へ回ってこちらの体を抱くようにしている腕。

 青年は自分が誰かに肩を抱かれるようにして眠っていたことを知った。
 場所はリビングらしき部屋のソファの上。並んで腰掛けた状態で、背中からくるまっている一つ布団の中に、誰かがいる。

 その誰かの体温が暖かくて、気持ちが良かったのだ。その誰かの髪が頬をくすぐるから、目が覚めたのだった。
 ―――誰だろう?

「……直江?」
 青年はすぐに答えを見つけた。
 口にしたのは、昨日の夜に契約を交わした依頼主の名前。
 『恋人役』という予想外の依頼内容だったが、事情を聞いて契約を受け入れたのだった。
本当の恋人をマスコミから隠すまでの時間稼ぎのためのカムフラージュとして、高耶は依頼主―――本名を直江信綱―――の恋人役を引き受けた。
 そして、仮にも『恋人』なのだから口調が敬語ではおかしいでしょうと言い出した直江の提案に従って、彼は依頼主を『直江』と呼ぶことになったのである。逆に彼自身は、依頼主によって『高耶さん』と下の名前で呼ばれることに決まった。

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高耶さんは他人の腕の中で目覚めて仰天。……そりゃ驚きますわね……



『えっと、じゃあ、な……直江』
 ぎこちなく呼び捨てに名を呼んだ高耶を、直江は目を細めて見つめていた。
『はい、何ですか、高耶さん』
 こちらはさすが俳優らしく、既にしっくりと馴染んだ口調で話した。
『いや、何ってことはないけど……うん、三日間よろしくな』
『こちらこそ。どうぞよろしくお願いしますね、高耶さん』
 細めた目の優しさになぜか心が騒いで、高耶は僅かに赤くなった。相手の瞳が本物の恋人を見つめるように甘い色をしていたように思えてしかたがなかった。
 さすがは俳優だ、と心の中で呟いて自分の動揺を納得させた彼だった。

 その直江が、高耶を大事そうに引き寄せて眠っているのはなぜなのか。

 考えようとして、青年ははっと昨夜の嵐を思い出した。
 そう。彼が最も恐れるもの―――雷が、昨夜はまるで彼を苛めてでもいるかのように激しく落ちたのだ。しかも、ここからきわめて近い場所へ、幾つも幾つも。
 恐怖のあまり人の気配を探して回った彼は、依頼主の姿が無いことにますます恐怖を煽られ、失礼はわかっていたが相手の私室まで入り込んだのだった。
 青年が探した人の気配は寝室には無く、その奥に備えられたバスルームに水音を聴きつけた彼は、その扉の前で蹲ってしまった。

「―――っ」
 そこまで思い出して、青年は唇を噛んだ。
 バスルームから出てきた男は普通でない様子の青年に驚き、怯える体を強く抱きしめて落ち着かせようとしてくれた。
 湯上りの体から立ちのぼる熱さと、背を抱いた腕の強さと、縋りついた胸板の確かさが唐突に思い出され、青年はかっと赤くなる。
「うわ……オレ、めちゃくちゃだ……」
 わけのわからないことを言って、抱きついて、そのまま一晩中湯たんぽ代わりにくっついていたのだ。
 ふと気づくと、未だに相手のバスローブの胸あたりを掴んでいる。
 慌てて手を離したが、甦ってしまった記憶は消しようも無く、青年は真っ赤になったまま、どうしたらよいかわからずに竦んでいた。

 横目で『恋人』を見てみれば、男はその文句の付けようの無い顔をさらして気持ち良さそうに寝息をたてている。
 職業柄、長時間ぐっすりと睡眠をとることが少ないであろうと思われる男がこうして心地よい眠りに安らいでいるのを、青年は邪魔するのが忍びないと思った。
 このままくっついているのはどうにも気詰まりだが、下手に動いては相手を起こしてしまう、というジレンマに陥ってしまった青年は、途方に暮れて視線を彷徨わせることになった。

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高耶さん回転中……早くも直江さんマジックに引っかかりそう?(笑)



「……ん」
 青年にとっては永遠のように長く思われた時間の後、雇い主がようやく目覚めの気配を見せ始めた。
 小さく寝言めいた声を発して、その瞼がぴくりと動く。
「あ、あの……」
 青年はほっとして、おずおずと声を掛けた。
 そろそろ肩から腕を離してくれないかと彼が言いかけたところで、俳優はハッと目を開いた。

「直江、昨日は、ごめ―――」

 ―――昨夜の迷惑を謝罪しようとした青年は、次の瞬間、ものすごい勢いで引き倒されて目を剥く。

「え、ちょっと……!」
 俳優が、青年の四肢をソファの上に押さえつけてのしかかってくる。
「何すんだよ!」
 自分を至近距離から見据えてくる瞳がまるで狂っているかのようにぎらぎらと光っていることを知って、青年は恐怖に駆られた。

 まさか昨日までのあの紳士的な態度は全くの作り物で、この狂気こそがこの男の本質なのだろうか。
 自分はどうなってしまうのだろう。このまま、何をされるのだろう。

 青年の頭の中では、翌日の新聞の見出しに自分の惨殺死体発見の記事が踊っている様子がありありと思い浮かべられていた。

 オレには大事な妹がいるのに……あいつが立派に女優としてひとりだちするまでしっかり見届けると心に誓っていたのに。

 ―――ごめんな、美弥。お兄ちゃん、美弥を置いていなくなっちまうかもしれないよ。ごめんな……

 観念して目を閉じた青年だったが、次にその耳に聞こえてきた台詞によって彼は再び目を剥くことになる。

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朝っぱらからさあ大変!



「まだここにいたのかい?僕が背を向けているうちにお家へお帰りとあんなに言ったのに、わざわざ好んでこんな所に留まったからには、覚悟はできているんだろうね?=v

 四肢を強い力で押さえつけられ、ソファの上に縫いとめられて自らの人生の終わりを覚悟した青年の耳に次に入ってきた台詞は―――

 まさに『台詞』だった。

 そう、この男は、目の前にいるこの男は、筋金入りの俳優なのだった。お茶の間の人気を一身に集める、子役からの叩き上げの、人気ナンバーワン俳優。スケジュールは分刻み。彼の出演するドラマや舞台は悉く成功するという神話すら存在している。
 まさに俳優となるために生まれてきたような人間だ。芝居は彼の人生そのものだともいえる。

 ……だからといって、これはないだろう。

 青年は半分泣きそうな気分になりながら、拳を固めた。


「こンの演技バカ! 寝言でまで芝居してんじゃねええ―――!」


 青年の怒号とともに、容赦の無いパンチが、俳優の完璧なラインを描く顎に炸裂し―――
 寝起きの悪い、魂の底まで俳優である男は、ようやく完全に目を覚ましたのだった。

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だってコメディなんだもん。(←開き直り)



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