期間限定の恋人ならいらない |
かくしてようやく帰宅と相成った『恋人たち』だったが、二人きりの時間を楽しむ暇は全く無かった。なぜといって、彼らの暮らす―――正確には、俳優の暮らしている―――マンションのエントランスに滑り込んだハイヤーは、そこに先客を見つけたからである。 今朝、二人が乗り込んでこのマンションから出かけたあの車、すなわち俳優の愛車が、そこにはいた。しかもそれだけではなく、もう一台、これまたぴかぴかに光る高級車がそこに待ち構えており、そのうえ車の脇に佇んでいた人影は、ハイヤーから降り立った二人に向かって恭しく頭を下げた。 その人物に、『恋人』との攻防に疲れ果てた青年は、いやというほど見覚えがあったりする。 「……仕立て屋さんだよな、あれ」 俳優に手を取られて車から降りた青年は、一度、二度、三度と、じっくりと上から下までその人物を眺め、それから、恐る恐るといった様子で呟いた。 「思ったよりも早かったですね」 青年がそちらに気を取られていて、男に握られた手を奪い返すのを忘れているのを喜ぶように微笑みつつ、日本一の人気俳優でいながら高級オーダーメイド店の人間をして『若』と呼ばしめる筋金入りの御曹司であるらしい男は、鷹揚な仕草でその仕立師に合図を送った。 「お待たせをいたしました」 歩み寄って再び頭を下げる老仕立師に、俳優は僅かに首を振って応える。 「こちらこそ、お待たせしてしまいましたね。ゆっくり食事をしていたものですから」 「ああ、それは良うございました」 「お陰さまで。ところで、さっそく彼に着せ付けてやってほしいのですが」 「お任せください」 しばらく二人で物慣れた遣り取りを交わしていた彼らの視線がふいに自分を見たので、青年はひゅっと息を飲んだ。 「えっと……?」 とても愛しげな視線を向けてくる俳優と、にこにこした笑顔で目を細めている老仕立師とに、彼はたじろぎつつ、首を傾げる。 もしかして……という予想は、すっと伸びてきた俳優の指が前髪を梳くのにびくっと首をすくめたときに、彼の台詞で裏付けられた。 「先ほど注文した服を早速仕立ててくれたんですよ。これから、着付け確認をしましょうね」 11/15 comment↓
帰り着いた家の前では、超高速で仕立てられた最高級の礼装がずらりと待ち構えていたのでした(笑) |
柔らかな午後の陽の差し込む億ションの、畳にして二十畳は下らないだろうという広々としたリビングに、部屋の主とその『恋人』と仕立て屋の三人はいた。―――否、それだけではない。所謂コート吊り、古き良き美しい日本語で言うところの衣紋掛けに、ずらりと並んで出番を待っている晴れ着が十数点、よそゆきの顔で肩を並べている。 それら、埃避けのカバーすらもが質素な中にも恐ろしいほどの高級感を漂わせている服たちは、完璧な形をした唇に満足そうな微笑みを浮かべている人気ナンバーワン俳優が、その愛しい『恋人』のために特別にあつらえたものである。午前に採寸をして、遅い昼を挟んだ午後の今、ここに揃っているということは、これら芸術品と呼ぶに相応しい昔ながらの完全手仕事の晴れ着は、あの隠れた名工房の職人たちを総動員してフル回転・最優先で仕立て上げられたに違いない。注文主がのんびりと長い昼食を摂っていたあの数時間の間に。 そこまで考えて、それらの服の着用者となるはずの青年は、改めてすくみ上がった。 緊張も露にこめかみを引きつらせているそんな『恋人』に、人間国宝と言ってもよいであろう一流の仕立て屋をして『若』と呼ばしめるハイソ男は、可愛くてたまらないという表情になる。 「どうしてそんなに困った顔をしているの」 くしゃ、と滑らかな髪に指を差し入れて、俳優が青年を覗きこむ。 「だって……職人さん達に、滅茶苦茶無理させちまったんじゃ……」 そんなスキンシップに早くも慣れてしまったのか、驚く様子も赤くなることもなく、青年は『恋人』を見上げた。不安に揺れる真っ黒な瞳に見つめられ、相手の瞳は愛おしさにますます甘くなる。俳優は黒い短髪を指先で愛しげに弄びながら、 「そんな懸念はね、却って失礼ですよ」 と首を振って微笑んだ。 「え?」 青年は俳優の深い鳶色をした瞳を見上げ、黒い瞳を揺らす。 「彼らはプロです。彼らは自分たちの腕前を最大限に発揮して、この時間で仕上げた。『無茶』なんてしません。彼らは納得のいく出来栄えを得るまで粘ります。もっと時間が必要だったのなら、その時間を費やして完全に仕立ててからここへ持ってきてくれたはずです」 「そうなのか?」 「彼らは最高の仕事をした。この短時間でね。あなたはただ、彼らの腕前に賞賛を贈ればいいんですよ」 「そうか。わかった」 大きく頷く『恋人』につられるようにして晴れやかに笑った青年は、ぽふ、と子どもを可愛がるように頭を叩かれ、初めて自分たちの密着具合に気づいた様子で、どぎまぎと後ずさった。ようやくいつものように赤くなって口ごもるのを、俳優はくくっと喉の奥で笑って見守るが、相手は男のそんな反応に(絶対からかわれてる!)と憤慨して、くるりと背を向けた。 が―――そこには、好々爺の微笑みを浮かべて控えている老仕立師の姿があり、まともに向き合ってしまった青年はますます慌てる。 「あ、あの」 目が合ったものの何を言えばいいのかわからず、棒立ちになってしまった彼だったが、落ち着かせようというようにそっと肩に置かれた大きな手のひらの温かさに、ふと先ほどの言葉を思い出した。 ―――あなたはただ、彼らの腕前に賞賛を贈ればいいんです 「―――さっきは、失礼な心配をしてすみません。素晴らしいものを、どうもありがとうございました」 手のひらの温もりに背を押されるように、するりと言葉が生まれた。 職人は、心の底からその気持ちを口にしていると雄弁に語る瞳を見つめ、微笑みを深くした。 「過分なお言葉を戴いて光栄でございます。それに相応しいかどうか、一度お袖を通してお確かめくださいませ」 05/11/12 comment↓
ほぼ一年ぶりの更新!でした。(自分でも驚き……) |
[契約第一日目・昼] 続く 一日目の昼編P2はこちらから。 フォームに一言ご感想いただけると嬉しいです!(もしくはWEB拍手をぷちっと。) |