期間限定の恋人ならいらない



「……?」
 一歩二歩と近づくにつれ、青年の顔が不思議そうになってゆく。
 なぜかといえば、電話ならば片方しか聞こえないはずの声が、双方ともに確かに聞こえてきたからである。
 話し声の一方は、間違いなく、この家の主のもの。そしてそれと会話しているのは、若い女性の声だった。

 この家の主は一人住まいだと聞いている。しかし、この部屋の中には女性がいる。

 青年は自分が眠っている間に来客があったのかと思い、ますます焦ってしまった。

 ところが。

―――きみにはわかるまいよ。犯罪者の……心理など

 聞こえてきた会話は青年の予想の範疇を超えた内容だった。

ええわからないわ!わかりたくもない。あなたのしていることは何もかも間違ってる
そうだ。そのとおりだ。僕の正しさなど、この世の誰にもわかりはしない。僕一人が信じるだけだ。きみにはわからない。あの子でなければ、わかりはしない……
あなたは狂ってるわ
そう。僕はとうに狂っている……どんな理屈も通じない。もはや、誰も僕を止められない。捕まえられない。……だから、きみももうお帰り。ここにいてはいけない。こんなところに……
誰もあなたを捕まえられなくても、わたしはここにいるわ。あなたを救えない、止められない、それでも。一番近くに、い続けてやる。絶対に離してなんかあげないのよ
早く、お帰り。鍵は掛かっていない。早く、出ていくんだ。僕が背を向けている間に、お家へお帰り……
どこへも行かない……わたしだけは最後までここにいる


「……ッ」
 一体どうなっているんだ。あの男が犯罪者?女性をここに閉じ込めているのか?それなのにこの女性は男を愛している……?

 おそろしく重い関係が、この二人の間にはあるらしい、と青年は感じた。
 立ち聞きして申し訳ないと思っても、会話のあまりの重苦しさに足が床へ縫いとめられてしまったようで、彼はその場を立ち去ることができなくなってしまった。

 青年は本日二回目の『天を仰ぐポーズ』を取るはめになったのである。

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ようやく登場の直江さんですが、不思議な会話に突入中。さてお相手は誰なのでしょう?
(念のため。マリアではないです)



 一方、件の部屋の中では、家の主である男が一人で床の上に立っており、苦悩のポーズを取ってがくりと肩を落としたところだった。


……はい、カット。なかなかいい感じじゃないの。最後の仕事としてはちょうどいいわね

 そして、男と深刻な会話を交わしていたはずの女性の姿はその場には無く。
 背後から掛けられた声に振り返った男は、部屋の四隅の一角を占めている大型プラズマテレビの大画面へと視線を転じたのだった。

「まったく……俺はともかく、お前は何だ?まるで棒読みだったぞ。俺の相手をつとめるのだから、せめてもう少し本気で演ってほしいものだな」

 男は画面に映っている妙齢の美女に向かって肩をすくめて見せると、やれやれといった風で椅子に体を沈めた。
 画面の中の美女はそれを聞くと憤慨した顔になり、

何よ!大体ね、あんたがいきなりとんでもないこと言い出すから、マネージャーのあたしが尻拭いに奔走しなきゃならないんでしょ!黙ってたら負債の利子みたいに積もり積もる予定と依頼との嵐を、どうにかこうにかキャンセルして、あちこちへ根回しして、疲れきって家に帰ってきたらあんたから台本読みの呼び出し!
 ああもう、誰か替わってよ!

 思わず男が顔を顰めるほどの大声で喚きたてた。

 女性にしてみれば、相手の鼓膜を破ってやったとしても無理からぬ事情がある。
 分刻みどころか秒単位まで密に詰まりきったスケジュールの一切を切り盛りし、各方面へ頭を下げて、ご自慢の美貌が衰えそうに思うほど身を粉にして働いたというのに、当の本人はといえばしごく涼しげな顔をして台本読みに付き合えなどとのたまう。
 墜落睡眠を要求する体に鞭打って付き合ってやるのには、男の秘蔵のワイン1ダースでも割に合わないくらいだが、挙句の果てに棒読みだのなんだのとケチまでつけられてはたまったものではない。

 キーッ!とこめかみに青筋を立ててカメラを叩き壊そうと手を振り上げた彼女だが―――

「―――おい、綾……」

 慌ててそれを止めようと腰を浮かせた男のさらに向こうで、突如として大きな物音が聞こえ、おや?と女性は拳を引っ込めたのだった。
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このへん、コメディ風味のつもりです。(まだオチがないですが)



 ドドドッ、と派手な物音を立てて転んだのは、二人の会話を立ち聞きしてその場に固まっていた青年である。

「お、仰木さん !? 」

 何が起こったのか気づいて、部屋の中にいた男が飛んできたが、青年にはもはや顔を上げる気力もなくなっていた。

「大丈夫ですか?どうしたんです、何も無いところで転ぶだなんて」
 甲斐甲斐しく手を出して青年を立たせてやった男は、まさか青年が自分たちの会話を本気に受け取って凍りついていたなどとは夢にも思わず、寝起きで足元がふらついたのだろうかと見当違いのことを考えていた。

 ぐったりして返事を返す気力もない青年を、とりあえず部屋の中へ連れてゆき、座り心地のいいプレジデントチェアに収めてやったところで、

あらあ、そちらがあんたの可愛い子?なに、コケちゃったの?いいわねぇおっちょこちょいなところも可愛くて〜

 画面の向こうから、成り行きを見守っていた女性が声を掛けてきた。
 可愛いものが大好きな彼女は、お人形のようにおとなしく男の手に任せている青年を気に入ったようである。さっきまで怒り狂っていたはずの貌はすっかり穏やかになり、お姉さんの顔で青年へと視線を注いでいた。

「可愛い子?何言っ……もごご」
 一方、聞き捨てならない台詞を掛けられた青年は、不思議そうな顔になってその言葉を否定しようとしたが、それよりも早く、男の手のひらが口元を塞いでしまう。
 何をする!とばかりに暴れ出した彼を必死で押さえつけながら、男は背後に向かって声を掛け、

「綾子!悪いが話は後だ。今夜はゆっくり眠ってくれ。じゃあな」

ちょ……直江!なお―――

 いきなり話を切られて眉を吊り上げる女性―――綾子という名の、マネージャーであるが―――の姿は、男がカメラのスイッチを切ってしまうと共に、画面から掻き消えた。

「んーっ……ん」

 台風一過、とばかりに深くため息をついた男は、自分の手のひらの下でもがいている青年のことを一瞬忘れており、

「むぐーっ!」

 息も絶え絶えになって限界を感じた青年が全身で体当たりを仕掛けると、それをもろに食らって床へ投げ飛ばされてしまったのだった。
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コメディ……になってますか?(びくびく)



「では……あらためて、契約の話をさせてもらいますね」

 事情はともあれ、客を突き飛ばしてしまったことで落ち込んだ青年だったが、あまり普通でない依頼主は、怒りもせずに微笑んで、青年の手を取った。

 自他共に認めることだが年上の男性が見せる優しさに弱い青年は、大きな手のひらの温かさと微笑みの穏やかさに心を静め、とにかく最初から仕切りなおそうと応接間へ二人して戻っていったのだった。

 ここでようやく、本題である今回の人材派遣サービスの契約内容を再確認する段階に入った彼らである。

「はい。大変お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。
 それで、本題についてなのですが―――」


 青年―――今回の依頼主に差し出した名刺によれば、『仰木高耶』―――は、『forA人材派遣』という人材派遣会社に社員登録して、二年と少しのキャリアを持っている。

 依頼主は社員の簡単なリストを見て選び、社員は相手の許へ行くまで仕事内容を知らない。
 何を演じろと言われてもこなす、それがプロである。

 例えば、期間限定の秘書を務めたり。
 例えば、一日だけの雇われ家政婦になって大掃除の手伝いをしたり。
 例えば、恋人と別れたいときに新しい恋人の役を演じたり。

 依頼主に同伴した何らかの役柄を与えられて、それを果たすのが彼ら社員の仕事なのだ。

 このユニークなサービスの所以は、社の設立経緯自体と大きく関わっている。
 実はこの会社、ある大手芸能プロダクションの傘下にある子会社なのである。

 この派遣会社のサービスは、メンバー登録した人間が客の依頼に応えて、与えられた役柄を現実世界で演じきるというもの。アクター志望者にとって丁度良い練習の場ともなる。いわば「スクリーンに映らない日常世界で演じる俳優」なのだ。
 ちなみに、お察しの通り、社名の『forA』の『A』は『Actors』のAである。

 青年―――高耶は、俳優になりたいというわけではなかったが、なかなか条件の良い仕事でもあるし、上杉プロに所属する妹を少しでも近くで見守っていてやれるという安心感もあって、この会社に登録したのだった。
 仕事の内容自体も彼は気に入っている。何が面白いといって、サービスがサービスであるだけに日常では想像もつかないような依頼が来たりするのが楽しいのだ。
 あまりにも自分のキャラに合わない内容であれば、上役に申し出て他のメンバーに替わってもらうこともできるので、彼は機嫌よく二年以上もこの仕事を続けてきたのだった。

 ―――だが、しかし。
 いくらユニークな依頼内容が面白いといえども、まさか男性の依頼主から『私の恋人役をつとめてもらいたい』と持ちかけられるなどとは、想像もしなかった事態である。
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ようやくお仕事の話に。二年のキャリアで初めての『男の恋人役』に、高耶さんは戸惑いモード。




プレ契約編、その2です。橘氏のマネージャー・綾子さんがご登場v
ご感想などいただけると嬉しいです。bbsもしくはメールにて……。
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