期間限定の恋人ならいらない |
―――『契約の日数は三日間。その間、私の恋人として行動してもらいます』 依頼主は男性。どこにでもいる普通の男、といいたいところだが、普通どころではなく人目を引く端整な顔立ちと、バランスの取れた長身の持ち主。 ―――否、もっと正確に言えば、その男は日本全国どこを探してもこの顔を知らない人間はいないはずの、超有名人であったりする。 その向かいに座り、テーブルの上に広げた契約書の端を殆ど握りつぶさんばかりに動揺している被依頼人も男性。こちらはごく普通の一般人であるが、今時の若者にしては珍しい純粋な黒髪をしている。彼は、二十歳を過ぎるか過ぎないかという若さの青年であった。 さて、この二人は契約書によって結ばれる予定の依頼主と派遣社員である。 青年が、ユニークな経営方針で有名な『forA人材派遣』の看板社員の一人であり、依頼主の男性が好感度ナンバーワンの人気俳優であるというような諸々の事情は後回しにしてもよい。要するに、只今ここでは、とんでもない依頼を持ちかけた男とそれに頭を真っ白にしている青年が向かい合っている。そういう状況である。 青年は果てしない白の荒野に佇む心境のまま、気丈にも口を開いた。 それはもう、これまで生きてきて初めてというほどの、自分で自分を褒めたくなるほどの気丈さでもって。 「ええと……大変失礼ですが、社員の選択をお間違えでは……ご覧の通り、私は女性ではありません。ご依頼内容から察しますに、他の者と交代して出直して参ったほうがよいように思われますが……」 ところが。 「選んだ人を間違えてもいませんし、他の方と交代される必要もありません。私はあなたに依頼しているんです。仰木高耶さん」 「は……?」 目の前にいる、顔だけを見れば文句の付けようの無い男は、至極真面目な顔つきのまま、深く頷くようにして青年を見返してきたのである。 聞き間違えでもなければ冗談でもないと気づいて、派遣社員としてのキャリア二年にて初めて、青年は心底仰天し――― とりあえず、生まれて初めて心因性の眩暈を起こして倒れてみたのだった。 10/21
comment↓ ネタコーナーより、「人材派遣」のお話です。投票してくださった皆様、ありがとうございました☆ さて、内容についてですが、ご覧のようにコメディタッチでお送りしております。今後もたぶん。 とんでもなく予想外の依頼内容に失神してしまった高耶さん、どうなるのでしょう? (ちなみにコメントが白字なのは、毎回の本文の間に挟むので黒字だとごちゃごちゃすると思ったからです。伏字ではないです) |
目の前で机に突っ伏してしまった青年を見て慌てたのは依頼人の男性である。 彼自身も、相手を驚かせるであろうということは充分承知の上で持ちかけた依頼だったが、さすがに気を失うというリアクションは予想外だった。 「お、仰木さん !? 」 椅子を蹴るようにして席を立ち、テーブルの端を掴んで反対側へ回り込むのももどかしく、彼は青年へと駆け寄る。 その際に、テーブルの上に置いてあったティーカップを派手に引っくり返して中身をテーブルと床へ撒き散らしたことなど、まるでお構いなしという様子である。 食物を始めとする物品に対しての執着が薄いのか、それともただ単に目の前で倒れた青年が心配であるあまり、周りのことが頭に入らないでいるのか、いずれにしても男が慌てて―――滅多に、否、かつて誰にも見せなかったほどに、慌てて―――いることは、確かな事実だった。 「大丈夫ですか、仰木さん、仰木さん」 救助活動の第一歩とばかりにトントンと肩をたたきながら声を掛けると、テーブルに突っ伏していた青年は低く呻いて身じろぎした。 「……ろ」 「はい?」 何かを呟いた青年に、聞き取ることができなかった男は屈みこむ。 「何か仰いましたか?」 ―――すると。 「るせー……もうちょっと、寝かせろ……」 うるさげに、果てしなく低い声で紡がれたのは、紛れも無く、寝言。―――それも、背後に向かっての鋭い拳というオプション付きの。 はしっ!と、驚異的な俊敏さでその拳を受け止めた男は、 再び机に突っ伏してしまった青年の背中を呆けたように見つめたまま、 数秒間、フリーズしたのだった。 10/22
comment↓ いきなり寝てしまった高耶さんでした。とんでもない依頼にびっくりした彼も気の毒ですが、目の前で倒れられた依頼主も気の毒だと思うこのごろ。 高耶さんは一度眠ると、邪魔する人間を容赦なく殴り飛ばすらしいです。しかも本人覚えていない(笑)。 |
「ん……む……ぅ……―――ぁ、れ?」 もぞもぞ、と身じろぎして、夢の世界にいた青年はふと瞼を上げた。 ―――寝起きの視界にぼんやりと広がる光景は、見慣れない綺麗な部屋。 自宅でもなく事務所でもない場所に自分がいるらしいと悟って、彼はがばっと跳ね起きた。 ばさり、とその背から何かが落ちる。 「……?」 背中を滑り落ちた感触と、それが床に落ちた物音とに青年は気づき、椅子の上という甚だ窮屈な姿勢で後ろを振り返った。 床の上に落ちているのは、暖かそうなウール系の羽織りもの。女性用のものではなく、色合いもサイズも明らかに男性のものである。 自分のものではないそれを何気なしに拾い上げたあたりで、青年はようやく正気を取り戻した。 意識が途切れる前後の事を思い出し、背中を冷たい汗が流れるのを感じる。 (まさか……オレは、契約の最中に……) 信じたくないが事実であることを、確かめるべく。 意を決して体を正面に戻すと―――目の前には、皺になりかかった契約書が鎮座していた。 確かに、夢でも想像でも何でもなく現実に、彼は客の目の前で居眠りをするという大失態を犯してしまったのである。 「……」 青年は自分の体温が残るジャケットを片手に握り締めながら天を仰いだ。 10/23
comment↓ お目覚めの高耶さん。さあ、挽回しないと! そして、背中に上着を掛けてあげるのはお約束〜☆ |
(やっちまった……) 昨夜うっかり、妹とのゲーム対戦に熱中してしまい、殆ど完徹したことを、苦く思い出す青年である。 背後の窓から見える空の色は現在が夕方に近い時刻であることを物語っており、昼前にここを訪ねた彼が一二時間どころではない長時間の惰眠を貪ったであろうことは明らかだ。 よくぞまあ追い出されなかったものだ、と首を振り振り、青年はようやく椅子から立ち上がった。 その動作の最中に、手に握っているものにふと気づき、依頼主の男がこれを背に掛けてくれたのだと悟ると、彼はますます小さくなってしまった。 あろうことか契約を詰めに来た先で寝込み、しかも依頼主に体を気遣わせるなどと。 この仕事を始めて二年にもなるくせに、と自嘲気味に肩を落とす。 元はといえば、インパクトの強すぎる依頼内容を持ち出した相手にもこの事態の責任はあるのだが、プロ意識をきちんと持っている青年には他人に責任をなすり付けるなどということはもっての外である。 律儀で真面目な青年は、おかしなお題を突きつけてはきたものの依頼主であることに変わりはないその男の姿が見えないことに気づき、どこにいるのだろう、と首を傾げた。 初めて足を踏み入れた他人様の家であるという不慣れさや遠慮もあるが、そういう問題よりもまず、マンションのワンフロアを占めてしまっているこの家はその広さが大問題だった。 一体どこにどんな部屋があって、どこへ行けば人がいるのか、ちょっと廊下を覗いた程度では見当がつけられないのである。 一人暮らしであるという男は、この広い家の中のどこかにいるにしてもその気配を察することは難しい。 まさか他人様の家で大声を張り上げて名前を呼ぶわけにもゆかず、どうしたものかと首を捻った青年であった。 とりあえずは廊下から探検してみようと決め、幾つもドアが並ぶ中をゆっくりと辺りを窺いながら歩き出す。 この家へ上がりこむときには無論、スリッパを出されたのだが、それは寝ている間にいつもの癖で脱いでしまい、今は靴下の状態なので、足音は殆ど立たない。わざと足音を潜めて歩いているつもりはなかったが、ぱたぱたとうるさく歩き回るのも相手には迷惑であろう、と静かに歩を進める彼だった。 彼はやがて、右側の奥にある扉の隙間から、何か物音が聞こえるのに気づいた。 耳を澄ますと、それはどうやら話し声のように思える。電話でも使っているのかもしれない。 いずれにしても人の気配に間違いないとわかり、彼は少し歩を早めてその扉を目指した。 10/24
comment↓ マンションなのにどこにどんな部屋があるのか見当がつけられないってどうよ…… それにしても、直江さんが出てこない! |
続
二周年企画の一つ、投票で決まった「人材派遣」です。投票してくださった方々、ありがとうございました☆ コメディを目指してサクサク進める予定です〜 ご感想などいただけると嬉しいです。bbsもしくはメールにて……。 |