真夏のヘンゼルとグレーテル





「 !? 」

 男が店の奥へ姿を消して数分後、急に店の明かりが落ちた。
 外も暗くなりはじめていた時間帯だったので、真っ暗とはいわないまでも、かなり暗くなった店内に驚く。
「な、何だ。停電?」
 思わず立ち上がって声を上げると、奥から明かりが近づいてきた。
「驚かせてしまいましたか。すみません」
 その明かりはあたたかい色をして、ゆらめいている。男・直江の手にしたトレイの上に、複数の、オレンジ色の光。
「直江さん?」
 直江はテーブルに近づいてくると、そこにトレイの上のものを静かに置いた。
 白い円形の上に八個の明かり。
 八本のロウソクが立てられた、それはバースディケーキだった。
「これ……」
「お誕生日おめでとうございます、高耶さん。さあロウソクを吹き消して」
 見上げれば、オレンジの光が直江の彫りの深い顔をよりいっそう際だたせている。きれいな瞳の色。琥珀のように。
「ほら、ロウが垂れてしまいますよ」
 その大きな手のひらが肩に添えられた。
「ありがとう……」

 大きく息を吸って、一気に吹き消した。そして辺りに漂う独特の煙の匂い。懐かしい。遠い昔には親しんでいた匂い。今はもう望めない筈の、この香り。

「―――行くな」
 明かりをつけようとして歩きだそうとした直江を引き留め、暗いまま話しかける。
「なあ、どうしてオレの誕生日を祝ってくれるんだ?」
 確かに初対面のはずなのに。こんなにまでしてもらう理由なんて、どこにもないはずなのに。

 どうしてこの男はオレのためにこんなことをしてくれたのだろう。

「理由を言ってもあなたには信じられないでしょう」
 斜め後ろに立つ男は、先ほどと同じ返事を返した。
「信じるよ。どんなに突拍子もない話でも。それが本当のことなら」
 さっきはまともに取り合おうとしなかったけれど、オレは今度こそ、受け入れようと思った。それが真実なら。

「……私はあなたが来ることを知っていたんです」
 男は先ほどと同じ言葉を紡いだ。おかしな台詞だが、今度は茶化さずに聞いて、尋ねる。
「どうしてだ?」
 直江は表情を変えずに答えた。
「見えるんですよ。人にはなかなか信じてもらえませんが。少しだけ先の出来事とか、過去のことがね」
 淡々と紡がれる言葉は、内容はひどく現実離れしていたが、男の表情はまるで世間話でもするようにさりげない。おかしな宗教に入れ込んでいる人間のような据わった瞳ではなく、けれど冗談を言っている笑いを含んだ瞳でもない。
「オレがこの店の前でうろうろしてるのが見えたってことか?」
 だから、その言葉を事実として受け取った上での疑問を返した。
「いいえ。今この瞬間のことが見えたんです。あなたのためのバースディケーキに火をつけて、さあ吹き消してごらんなさいと言う自分の姿が。そして、ありがとうを言うあなたが」
 男はここで、ようやく表情を変えた。花がほころぶように笑う。
「それだけで、今日オレが誕生日でここに来ることがわかったっていうのか?」
 単なるワンシーンを見て、前後の状況や日付までわかるものなのだろうか。バースディケーキには普通、日付なんて入れるものじゃない。

「ええまあ」
 すると、男は僅かに語尾を濁した。
「他にも何か見えたのか?」
 やはりもっと別の手がかりがあったのか、と思って尋ねると、男は一度視線を逸らしてから、気持ちを決めたように表情を引き締めて、オレをじっと見つめた。

「……いえ。光景が見えたのではなくて、私の気持ちが変わったんです。私は未来のあなたを見て、すっかり虜になってしまったんです」
 不思議な台詞は、僅かに細められた瞳に溢れるほどの、或る感情をたたえて紡がれた。

「それって……」
 どんなにオレが鈍感で、相手も自分も男だという常識的な考えにどっぷり浸かっていたにしろ、男の瞳に浮かぶ感情は明らかだった。

「私はケーキで罠を張ったんです。名前も知らないあなたと接点を持つために使える唯一の手段として」

 お菓子の家に惹かれて魔女の手中に落ちたあの童話の兄妹のように。
 オレは甘い罠に捕まって、恋に焦がれる男のもとへと引き寄せられてしまったらしい―――。





 狙った相手にちゃっかりとこの店での週三日のバイト契約を取り付けてから、男は青年を家へ送り届けた。
 またな、と、はにかむように手を振ってアパートの中へ消えた背中を見送り、彼はふと唇に微笑みを浮かべて呟く。

「本当は、見えたのはケーキを食べるシーンだけじゃないんですよ。たぶんあれはちょうど一年後」

 あなたは誕生日のケーキを一切れフォークで取って、俺に食べさせてくれたんです。少し照れたような顔をして。俺がありがたくいただいて、おいしいですねと微笑むと、あなたも応えるように笑った。
 その笑顔が俺を恋に落とさせたんですよ。
 ただその一瞬だけで、俺はあなたに一目惚れしたんです。

fin *
* back *
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高耶さん、お誕生日おめでとうございます!

7/23
題名のオチはこういうことでした。……お粗末さまです!
最後まで読んでくださってありがとうございましたvv

photo : : : 素材カナリア
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