はらはら、と淡い桃色の花弁が舞う。
 木の下に、二人の男。
 一人は晴れて高校を卒業した男子生徒。もう一人は彼を教えた教師だ。
 二人はようやく『教師と生徒』という枠組みを通り抜けた。

「……で?オレはめでたく卒業したぜ。そろそろオレの欲しい言葉をくれてもいいんじゃねーのか?」
 少年が、自分の手を引いてここまで連れてきた男を見上げた。
 男は微笑んで、少年の頬に手を触れた。
「少しだけ、目を瞑っていてくれませんか」
「……わかった」
 少年が目を閉じると、頬に触れていた手が離れていった。
 待つこと数秒。
「高耶さん、手を出してみて。目は閉じたままで」
 男が少年に言葉を掛けた。
「こうか?」
 少年は不思議そうに眉を寄せて右手を差し出した。
「手のひらを上に向けてください」
「ん」

 さらなる注文に応えて手のひらを上へ向けると、下から温かな手のひらが包み込んできて、手のひらに何か小さくて軽いものがそっと載せられたのを感じた。
「目を開けてもいいですよ」
 閉じていた目を開いてみると、手のひらに載っていたのは、小さな桜の花びらだった。
「おまえがオレにくれるものはこれか?」
 意図がよくわからなくて、途方に暮れる。
 見上げると男はくすりと笑って首を振った。
「桜の花びらはどんな形をしていますか?」
「謎かけか?どんなって言われても……細長いハート型?」
 答えると、男はとても優しく微笑んだ。
「そう。桜のこの形はハートなんです。だから人の心を乗せて、ひらひらと舞うのだと、何かで読みました」
 男の右手が花びらをそっとなぞる。

「じゃあ、おまえがこの花びらに託したのはどんな心?」

「こんな風に……」
 男は目を細めて顔を近づけ、あっという間に唇を掠めていった。
「あなたにくちづけたい」

 気づいたときにはもう顔は離れていて、瞬いたときには男はとけるほど甘い微笑みをたたえた瞳で見つめていた。
 ニコニコしながらただじっと見つめるだけで、それ以上何も言わないし、動く様子もない。
「……な、なんだよ。それだけかよ?」
 こんなからかうような子供だましのキスだけで済ませるつもりなのか。この男にとって、自分に対する気持ちはそれだけなのか。
「もう他にすることはねーのか?何も言うことはねーのかよ?」
 悔しくて悲しくて唇を噛んだ。
 微笑むだけの顔を見たくなくて横を向こうとしたら―――急に引き寄せられて唇を奪われた。
「う……」
 数秒で頭が真っ白になってしまった。さっきのキスとは比べ物にならない。いきなり大人向けのくちづけだ。
「……ね?こんなところで言えることじゃないし、できることじゃない」
 骨の抜けた魚みたいになったところで、唇が解放され、体を抱きとめられて耳元に囁かれた。これまたいきなり、大人向けの声。キャラメルみたいに甘い口調で囁かれたら、反論も出来ない。
「ちょっと失礼」
 とけたままくたりと身を任せていると、男の手が脇腹のあたりにやってきた。思わず竦むと、くすりと笑われる。
「だから、こんなところでできることじゃないって言ったでしょう。これをね、ポケットに入れてあげようとしているんですよ」
 男は笑いながら言って、ズボンのポケットに何か薄くて固いものを落とし込んだ。
「もしかして……」
「あなたが欲しがっていたものですよ。ずうっと前から用意してあったんですがね」
 合鍵だ。
「くれる気、あったんだ」
「勿論。……愛してる」
 笑った後で、掠め取るように囁かれた。
 びっくりして目が皿になる。
「……何だか、あなたがどんな顔をしているか目に見えるようですよ」
 耳元に唇を当てたまま笑われる。
 それでもまだ、動けずにいた。

「……もう一度」
「何度も続けるものじゃありません」
「出し惜しみするんじゃねーよ。散々もったいぶっといて」
「それをいうなら、あなたこそ言ってください。私はまだ聞いていませんよ?一度も」
「う」

「言って。一度でいいから。言ってください」

 満開の桜を背にして、男が微笑う。
 たくさんの心が舞い散る中、愛という心をくれた男が同じものを待っている。
 ありとあらゆる感情を教え込んだ男が、手酷く傷つけあいながら自分を広い世界へ連れ出した男が、求めているのはただ一言。

「……愛……てる」

 桜の音に消されてしまうほど微かな声で呟いた瞬間、膝をすくわれて抱き上げられた。

「ちょ、おい!やめろよ!」
 男同士でお姫様抱っこなんて、人目がないとはいえ、おかしすぎる。
 じたばた暴れていると、ぎゅっと強く胸板に顔を押し付けられた。
「直江?」
「家へ帰りましょう。帰ったら、もっと、ずっとたくさんの気持ちをあなたにあげるから」
「うわ……」
 優しくて甘くて、その言葉だけで体中が熱くなる。ふあっ……と血が高揚する。

 この激しい鼓動は、雪よりも白く舞い散る桜の花弁の音でも、消すことはできないに違いない。

「あいしてるよ、直江……」
 鼓動を誤魔化したくて、呟いてみた。
 桜に消されて聞こえないかもしれないなと思ったけれど、隣では男が嬉しそうに微笑んでいた―――。




というわけで、「lecture」でした。
一生懸命頑張って卒業の日を迎え、彼らはようやくスタートラインに立ちました。
お互いの為に我慢を重ねてきた日は終わり、これから、色々なことが始まります。
素直じゃない二人だから、喧嘩もするでしょう。すれ違いもあるでしょう。でも、最後にはやっぱりお互いのところへ帰るのだと思います。
一緒に歩いてゆく幸せ。
いいですねぇ。うらやましいですねぇ……(←何があった?/笑)

この二人に最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。
らぶっぷりが足らんというお方はちょこっと続きをどうぞ。

2004/04/24

server advertisement↓