古き時代―――
龍皇の接吻を受けたものは、不老不死となり、永遠に皇を佐けたという。
上質の黒を纏った広い背が、少しも慌てず騒がず悠々と廊下を去ってゆく。
この場の誰一人気づかない第一級危険人物は、自らそれを明かした唯一人の相手を背後に置いて、来た時と同じくひっそりと夜の闇へ消えてゆこうとしていた。
丁度四年前にそうしたように。
彼がこの場に現れたことも、消えたことも、誰も知らない。
唯一つ、四年前と違う点は、かつて彼のターゲットだった人物が今度はぴんぴんしており、しかも彼の正体を知っており、去りゆく背中をその目で追っているということ。
例えばこの瞬間に、彼が、陰に控えている護衛の一人に、ほんのちょっとした合図で命じれば、敵地に単身乗り込んだ殺し屋は簡単に捕らえられるだろう。
それとも……
まるで追ってこいと言わんばかりの男の捨て台詞をどう思ったか、しばらく去ってゆく背中を見つめていた青年は、長椅子を立ってその背を追った。
長身に見合う脚の長さを誇る男の歩みは早く、後を追う青年は早足気味になる。
追う者も追われる者も、自分の領域の範囲にいる互いをひどく意識していながら、周囲にそれと気取らせるような目立ち方はしない。
黙って廊下を過ぎゆく二人を見とがめる者はなく、彼らはやがて屋敷を取り囲んでいる広い庭園へと出てきた。
人気のない夜の庭園に足を踏み入れて、先に歩みを止めたのは男だった。
それに応じて青年も足を止める。
薄雲に時折隠される細い月光のほかに灯りのない庭に、半ば溶け込んだ黒の礼装の長身と、ぼうっと浮かび上がる白絹の中華衣装が佇む。
静かな庭園に突如入り込んだ侵入者に驚いたか、小鳥が二三羽、羽音をたてて飛び去った。
その気配が暗い空の彼方に消えるのを機会に、未だ背を向けたままの男が口を開いた。
「なぜ、追ってきたんです」
音のない庭に―――否、音を包み込んで隠してしまうほど木々の多く佇む庭に、彼の
クイーンズ・イングリッシュ正統英国英語
は、よく響いた。
自ら追ってこいと誘いかけた彼の疑問は、だから、言葉どおりの意味ではなかった。なぜ、敢えて追ってきたのかと、背後の雄弁な視線へと問う。
「おまえはなぜ、俺に構った」
男の背を穴の空くほどまっすぐに見つめていた青年は、その問いに間髪入れずに言葉を返した。疑問に疑問で返したかたちになるが、この台詞もまた、言葉どおりの意味ではなかった。
会場を去ろうとしていたのに自分になぜ構ったのか、それが気になったからこそ、敢えて背を追ってきたのだと。これが男の問いに対する青年の答えだった。
この短い応酬の行間を過たず読み解いた男が、ゆっくりと振り返る。
ほんの二歩ほどの距離を隔てて、二人は向かい合った。
夜の闇に溶け込んだ黒の礼装に、ほの白く浮かびあがる亜麻色の髪と、冴え冴えとした美貌。薄い色でありながら深い感情を抱いた瞳。
月明かりに浮かぶ白絹の中華衣装と、すんなりと伸びた首、未だ瑞々しさを残した顔に黒い髪。夜の色をした瞳が、まるで何かを切々と訴えるような光を宿して、目の前にいる男を見つめる。
言葉なく対峙すること数秒。
男が足を踏み出した。やはり何も言わず、ただゆっくりと青年へ向かって歩いてゆく。
青年は逃げるように、というよりも、磁石の斥力反発のように、後退した。