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……コン、コン
言葉なく寄り添ってくちづけを交わした二人がゆっくりと顔を離したとき、タイミングを見計らったように扉がノックされた。
「はい?」
男が返事をすると、
「旦那ァ、先に写真を済ませちまいましょう。もう用意はよろしいですかい?」
と、式場と写真の手配をした男の友人が声を掛けてきた。この男は義明が高耶を探して全国の寺社仏閣を巡っていた頃に知り合った間柄で、義明と高耶の関係をよく理解している。その彼ならば、と義明は、今回の披露宴の手配を任せたのだった。
「構わない。入っていいぞ、一蔵」
「そいじゃ、お邪魔します」
義明がそう返事をすると、ひょろっとした体つきの若い男が扉を開けて入ってきた。高耶は自分の学芸会のような格好を思い出して苦い顔をしたが、
「ひゃあ。こりゃあまた、想像以上に眩しい旦那方だァ」
彼ら一対に視線を走らせた一蔵は、感嘆の声を上げて目を見張った。それがお世辞でなく本気の言葉であるらしいと気づいて、高耶はますます居心地を悪くする。
「そうだろう。一生に一度くらいはこういう姿もいいだろう?それなのにこの人は恥ずかしいらしい」
義明は今にも逃げ出しそうな恋人の手を捕まえて、ため息をついてみせた。
「じゃあ、一世一代の名写真を撮ってみせましょう。それまでは逃げんでくださいね、ご主人」
その言葉を受けて一蔵は深く頷いた。
ご主人と呼ばれてますます面映い高耶だったが、一蔵に言わせれば彼は『旦那』が探し求めていたたった一人の『ご主人』であるらしい。勿論、通常の場合に『旦那』の対になる言葉である『奥さん』と呼ばれることに比べればずっとましな呼び方なので、文句はつけずにいるのだった。
*
「そろそろ皆さんお揃いですよ。早く行ってあげてください。首を長くして待っておられるはずです」
同じ敷地内に設けられている小さなチャペルを舞台に写真撮影を済ませて、二人は足早に小広間へと向かった。
この伝統ある名門ホテルのパーティルームのうち、一番小さな小広間が彼らの家族が集まっての披露宴会場である。『橘家・仰木家 披露宴会場』という札のところへ行き着くと、その先にある扉からは既に賑やかな声が洩れ聞こえていた。
「もう全員集合?」
「のようですね」
二人は顔を見合わせて、少し笑った。
「行きましょうか」
「……やっぱり着替えたら駄目か?これ……」
「これも親孝行だと思って、がんばってください。それに、とても似合っているから安心していいですよ」
彼自身にとっては恥ずかしくて仕方がない格好のまま中へ入るのをしり込みしている高耶に微笑みかけ、しっかりと手を繋ぐと、義明は扉を押し開けた。
「お待たせしました」
白とグレーの花婿衣装を身に纏ったなかなかの男ぶりの二人が仲良く手を繋いで現れると、わいわいと賑やかに親交を深めていた両家の人間たちが一斉に扉を向いた。
「お、ようやく主役のお出ましか」
「あら二人とも、よく似合ってるじゃないの」
「お兄ちゃん、こっち向いて〜!」
「……なんか、オレたちの出番って必要ないんじゃねーの?既にできあがってるぜ」
これから堅苦しい挨拶なんてする必要無さそうだ、と首を傾げた高耶である。両家の人間たちは、まともに顔を合わせたのは初めてのはずだが、今更その架け橋である主役二人が言葉を添えるまでもなく、大いに打ち解けて話を弾ませている様子だ。
「同感です」
主に女性陣によるフラッシュの嵐に閉口しながら、義明も囁き返した。さてどうしたものかと迷ったとき、普段はあまり喋らない義明の父が、徐に口を開いた。
「義明、高耶くん、堅苦しい挨拶はいらんから、報告だけでも一言しなさい。後は無礼講だ」
年長者の助け舟にありがたく乗っかって、二人は部屋の舞台側へ進み出ると、中央に置かれた大きな丸テーブルについて自分たちを見ている家族たちに向き直った。
「―――皆さん」
低めながらよく通る美声の持ち主である義明が呼びかけると、賑やかな話し声が静まって、一同の注目が彼へと集まる。
「皆さん、今日は私たちのためにお集まりいただいてありがとうございます。長い挨拶をするのは控えさせていただき、お礼とご報告のみ申しあげたいと思います」
義明は隣に並んだ高耶と眼差しを交わして、話を続けた。
「私の両親と兄弟たち、そして高耶さんのお母さん、美弥さん。私たちが共に暮らしたいという願いを快く受け入れてくださり、本当にありがとうございました。皆さんのお気持ちを大切にして、これからは二人で頑張ってゆきます。
そして、ご報告申し上げたいことについては、お手元にございます冊子の末頁にご注目ください。明日より私たちの新居となる場所は、そちらに書いてあるとおりです。私の勤め先と高耶さんの学校に通うのに便利で、落ち着いて暮らすことのできるところを選びました。それほど広い家ではありませんが、客間はございますので、お近くへいらっしゃった際には是非お寄りください」
義明は短い言葉を終えると、高耶と一緒に一礼した。
間を置かずに響いた拍手が、新しい門出に輝く二人を高らかに包み込む。一番大きな音で手を打っているのは、義明の父だった。
目を開けたら、
おはよう、
と言ってくれる人がいて、
おはよう、
と応える自分がいる。
そんな幸せな朝の光景。
きっと明日からは、毎日の習慣―――