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 とてもいい日和だった。
 昨日までの雨模様が嘘のように晴れ渡った青い空は、二人が重大なる人生の決断を家族に打ち明けたあの日と同じ、まるで真夏のような青さだ。
 例年よりも早くほころびかけていた桜のつぼみも、今日の陽気で一斉に開いたらしい。微かな甘い香りがあたりをふんわりと包み込んでいた。
 そんな春の一日、松本と宇都宮に実家を持つ二人の新しい門出を祝う会が、新居をかまえた東京に場所を決めて、今しも始まろうとしていた。


「うええ……なんでオレがこんなひらひらした格好しなきゃなんねーんだよ……まるで学芸会だぜ」
 二家族分の席だけが確保された小さな式場の、舞台裏。控え室というにはずいぶんとこぢんまりしたその部屋で、二人の男が支度に追われていた。
 彼らはこの日の主役である。しかし、二人のうち、若い方の少年は、自分が着ている衣装が恥ずかしくてならないらしい。彼のいでたちは純白の上下で、襟や胸に細かく襞が寄せられた洒落たデザインの礼装だ。中に着込んだこれまた純白のシャツの襟に、ちょこんと顔を覗かせた蝶ネクタイがなかなか伊達である。
「いいじゃないですか。本当はもっとひらひらした花嫁衣装の白いドレスを着ているはずだったんですよ。それにくらべればそのスーツはずっとシンプルだ」
 年かさの方は情けない顔をしている少年にくすりと笑い、そっと手を伸ばして、曲がっているタイをなおしてやった。
「なんでオレが花嫁衣装なんだよ。オレはれっきとした男だ」
 少年はぽってりと厚めの唇をつんと突き出して、笑っている男を睨み付ける。
「少なくとも私が着るよりは目に楽しいだろうと思うんですけどね。でも、今の格好もとても素敵ですよ。よく似合っている」
 男は少年のそんな表情が可愛くてどうしようもないらしい。タイから離した手をその頬に滑らせて、とろりと目を細めた。
「おまえこそ、いやみなくらいいい男だぜ」
 少年は男の眼差しに僅かに血を上らせ、そんな自分にため息をつきながら相手の胸をこつんと小突いた。
 男は膝下まであるシルバーグレーの燕尾服に白いスラックスという出で立ちで、190cm近い長身に程よい筋肉を纏う彼は、大抵の男が身につけたなら目も当てられない筈の“御伽話に出てくる王子様”風の意匠を凝らしたその上下を、全く違和感なく、むしろ引き立てるほどにしっくりと着こなしていた。
「下っ端の軍服も、将軍みたいに着こなしてたもんなぁ、おまえ」
 男の広い胸に手を触れて、そこに飾られている細かい襞の辺りを指先で引っ掻きながら、少年は少し目を細める。
「こらこら、悪戯しないで。せめて写真を撮るまでは我慢してください。その後なら引っ掻いてもいいから」
 男は少年の悪戯な指先を捕まえてちょっかいを止めさせると、
「あなただって学ランがよく似合っていましたよ。もう見られないのが残念だ」
と微笑んだ。
「卒業後も制服を着てたら変態だろうが」
 悪戯するなと言っておきながら自分は手を伸ばして抱擁しようとする男へ、少年はぺろりと舌を出して、するりとその腕から逃げ出した。
「外で着ろとは言いませんよ。でも、家の中でなら構わないでしょうに」
 残念そうに呟く男へ、少年は顔をしかめて首を振る。
「そういう問題かよ。とにかく、オレは立派な男なんだ。女みたいに『ねえ、似合う?』とかダンナに見せるような趣味は持ってねえ!」
「さようでございますか」
 くすくす、と喉の奥で笑いながら、男はおとなしく引き下がった。しかし少年にはまだ言い足りないことがあるようだ。
「それにしてもだ、なんでオレたち、こんな見世物みたいな格好しなきゃなんねーんだろ……」
 彼は非常に情けない表情で自分の出で立ちを見下ろして、深いため息をつく。
 困った時の癖で、がしゃがしゃと髪を掻き回しそうになるのを、横合いからさっと手を伸ばして男が遮った。
「ほら、写真を撮るまでは我慢して。……まあ、仕方ないでしょう。親は子どもの晴れ姿を見たいものなんです。両家の家族が揃って希望したことなんだから、そのくらいの孝行はしてあげてもいいでしょう?」
 男同士で結婚披露宴のようなことをする羽目になった理由を言って、男は少年の両手を封じる。
「そのことは頭ではわかってるんだけどな。それにしても、恥ずかしい格好だ……よりにもよって、でかい男が二人とも花婿衣装で並ぶなんて。完全に晒し者だ」
 少年は両手を捕まえられたまま、またも深いため息をつく。
「だから、あなたが花嫁衣裳なら見た目もおかしくないって言ったのに。いやだと言ったのはあなたじゃないですか」
 男は捕まえた両手をぶらぶら揺さぶって遊びながら、からかい混じりの台詞を続けるが、
「何度同じことを言わせんだ?オレは女じゃねえ!」
 少年はむうっと眉を寄せて憤慨する。
「何も化粧しろと言っているわけじゃないでしょう。髪をまとめてシニョンを付けてヴェールを何枚か被れば、見た目には問題ありませんてば」
「おまえな、76もある女がそんじょそこらにいるかってんだ!」
 とうとう本当に怒り出したらしい少年に、男はようやく両手を解放してやった。
「はいはい。わかっていますよ。俺だって、そんなふうに嘘をついて一生の記念になる写真を撮るつもりはない」

 ほんとか?と疑い混じりの視線を相手へ向けた少年は、出会った瞳の真摯な色にハッと目を見開いた。

「俺はあなたが女性だったら良かったと思ったことなんて一度もない。ここにいるあなただけが、たった一人の大切な人だ」
 男は自分の奥底にある思いを吐露するときにだけ使う『俺』という一人称で話している。
「なおえ……」
 少年は男の鳶色の瞳に見入った。
「俺はどんなときも強い光を失わないあなたの瞳を愛した。小さな背中で懸命に戦っていたあなたを、俺の懐で泣いたあなたを、俺の話を聞いて、傷ついた手で慰めてくれたあなたを、たった一人、俺を待っていると言ってくれたあなたを……愛している」

 びろうどのような、滑らかで、温かくて、柔らかな、声だった。焦がれ続けたその声が、今はすぐ傍にある。そしてこの先ずっと、一番近くで聞き続けるのだ。

「―――一緒にいような、直江。ずっと。他には何も望まないから……ずっと、一緒にいよう」
 少年はとても綺麗に微笑んで、男の頬を手のひらで挟んだ。
 男は瞳で頷いて、相手の頬を同じように両手で挟む。

「キスしようか、直江」

 互いの頬を手のひらで挟んで顔を寄せた二人は、小さな式場の控え室で、招待客のいない二人きりの誓いのくちづけを交わしたのだった。


望みはただ一つ。どんなときも傍にあること―――





*next*

2004/04/25
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