Fullmoon Tonight 





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1. Moon after Yule



 獣たちが冬眠に入ってのち、山はどこまでも白い静けさに包まれた。
 少し前から山の中腹に小屋を立てて住んでいるハンターは、白い獣の襲撃を恐れることなく、先だって負った傷の回復に努めている。時折は山を降り、物資の調達や情報の遣り取りにも余念が無い。
 もしも白い獣を求めて大規模な捕獲作戦が展開されるようなことがあったら、男は何としてもそれを回避せねばならないのである。たとえたった一人で立ち向かうことになろうとも。
 ギルド支部長の口ぶりでは、白い獣の毛皮はいよいよ高値で取引されているらしかった。冬眠の季節とあって、新たに仕入れるのが難しいのが一因ではあるが、いずれにせよ、今後いっそう狩りが激化するであろうことは予想できる。
現在のところは、男が仮住まうこの山に白い獣が生息しているということは知られていないようだが、いつ目端の利く人間がやってこないとも限らない。
 白い獣を狩ることをやめたハンターは、どうすれば『彼』とその仲間を守ることができるか、長い夜に火に当たりながらいつまでも考え続けた。
 男は知らない。いつまでもちらちらと燃え続ける小屋の灯りを、遠くの岩場から見ている赤い瞳の獣を。
 一歩、身を乗り出しかけては後退する、その繰り返しを。


 冴え冴えと浮かぶ美しい満月の夜、すっかり肩の傷の癒えた男は、首を長くして訪問者を待った。
 『彼』が人型になったときのために、小屋の寝台の上には簡単な服も用意してある。狩人らしく手先の利く男は、自らの手で器用にその服を仕立てていた。
 温かいスープを煮込む鍋を木杓子でゆっくりとかき混ぜながら、男は窓に影が横切るのを待った。

 しかし、銀盤が空の天辺にぽっかりと浮かぶ頃になっても、訪問者はおろか、ほんの僅かな物音すら男の耳には感じられなかった。
 男は、鍋をかき混ぜる手を止めた。白い光が差し込んでくる窓へ視線をやり、寝台の上に広げられた服へ流した瞳はやがて、一度ゆっくりと瞬いて強く光った。
 鍋の火を小さくした男が小屋の扉を開けて外へ出たとき、辺りには何の気配も無かった。四方へ視線と耳とを向けて何かを探す動きをしていた男は、やがて、突然その場に倒れた。
 雪の上に倒れこんだ長身は、ぴくりとも動かない。
 一瞬の間をおいて、どこからともなく姿を現した大きな白い獣が人影に駆け寄った。
 閉ざされた瞼の横を舐めた熱い舌の感触に、瞳がぱちりと開かれる。
 月光を受けて鳶色に澄んだその瞳が笑っていることに気づいた獣は、騙されたと知って前脚で男の背中を踏みつけた。
「うっ……これは困ります。謝るから許してください」
 じり、と容赦の無い重みをかけられた男が顔を歪めて呻くと、獣は男の体をおもちゃにするようにぐいっと引っくり返して仰向けにし、逃がさぬように四肢を縫い止めた。かなり長身の部類に入る狩人だが、獣の体が月光を遮ってできた影はその体をすっぽり収めている。
「出てきてくれないあなたがつれなくて、したことです。許してください。どうして来てくれなかったの?」
 自分に覆いかぶさるようにして見下ろしてくる、こごえるような真紅の瞳を見上げ、男が少し目を眇めた。獣は答えず、いつものように男の両頬を舐め、鼻の頭を噛んだのみ。顔を離すと再びじっと見下ろしてくる。
「今日は人の形になってくれないの? なら、話せないんですね」
 男は淋しそうに呟き、獣の前脚に踏まれている腕へちらりと視線を流した。
「手だけでも、自由にしてくれませんか?何もしないから」
 獣は男の手首のあたりを踏みつけていたが、相手の請願を受けて前脚を横へ退け、自由にしてやった。男は、ゆっくりと手を差し上げ、見事な純白の毛並みにそっと指を触れた。満月に輝くそれは銀色をはらみ、しっとりと男の指をすり抜けてゆく。しばらく、ただ黙って滑らかな毛を撫でていた男は、やがてその両手で獣の長い鼻面を包むようにし、燃えるような真紅の双眸にひたと目を合わせた。
「高耶さん……お願いしてもいいですか。ほんの一言でいいから、声を聞かせて―――」

 男が、まっすぐに見つめ合った瞳の真紅の向こうに何らかの感情が流れるのを見て取ったとき、白い獣はその身をゆっくりと男の上に重ねてきた。
 男の胸の上に横たわった体は、滑らかな人の子の肌。
「こんばんは、高耶さん」
 自分よりも一回り小さな裸の背を抱きしめて、男が吐息とともに囁いた。

「悪かったな、すぐに来なくて」
 狩人の体の上に身を横たえたまま、少年は僅かに首を振った。
「いいんです。……冷えるから、中に入りましょう」
 男は相手のむき出しの背を自分の袖で包むようにしてゆっくりと身を起こし、相手は素直になされるまま立ち上がった。

 火の焚かれた小屋に入れば、毛皮の無い生身の体でも少年にとっては十分に暖かかったが、狩人は少年の裸の肩に柔らかな衣服を着せ掛けた。
「これは……?」
「そのままでは寒いから着てください。体に合うといいのですが」
 はにかんだような語尾に、少年は長身の男を見上げた。
「もしかして、おまえが作ってくれたのか?」
「ええ、まあ」
 男は、狩人らしからぬ優しい光を浮かべた鳶色の瞳を何度か瞬かせ、少年の黒い瞳を見下ろしている。
「ありがとう」
 少年は優しい狩人に微笑を返し、手作りの服に袖を通した。

 初めての服に些か戸惑いながらも、少年は毛皮に代わるその暖かさを心地よく感じているようだ。寝台に掛けた彼はしばらくの間、パチパチと爆ぜる炎を見つめながら静かに黙っていた。
「……話したいんじゃなかったのか?」
 隣に掛けた男も同じように炎を見つめながら黙っているので、やがて沈黙に耐えかねたのは少年のほうだった。
「あなたと会えて、こうして傍にいるだけで幸せですから。何もいらない」
 男は隣に掛けて、嬉しそうに細めた瞳で少年を見つめていた。すぐ傍にある生きた人の姿がまるで眩しくてならないというように、静かに、しかし熱っぽく降り注ぐ視線に、少年はそっぽを向いた。よく見れば、その唇はつまらなさそうに尖っている。
「人のおまえよりも、オレの方がつまらない物思いに取り付かれているんだな」
 口惜しげな呟きに、男は、人の姿をしているときは自分よりも一回りも小さなその体を、すぐさま抱き寄せた。
「何を思っているの?俺はいつもあなたのことを考えていますよ」
 肩の辺りにやってきた黒い髪に唇を寄せての囁きに、少年の固さは消えてゆく。
「―――オレは長だから、番いはいないんだ」
 大きな手のひらで背を撫でられ、髪を梳かれながら、やがて彼はそんなことを呟いた。
「それは……淋しくありませんか」
 想像もしない台詞に、男は少し表情を変えた。少年のなめらかな頬を手のひらで包むようにしながら、今は真っ黒なその双眸を見つめる。二つの瞳に何らかの感情が浮かぼうとし、男がそれを解するよりも前に、少年は目を伏せて言った。
「淋しくはない。皆がいるから。でも……」
「でも?」
「オレは、おまえと番いたい」
 男の肩に痛いほど押し付けられた頭がぱっと仰向き、つい今まで真っ黒だった瞳が真紅に染まっているのを見たとき、男は少年の体をきつく抱きしめた。
「俺はあなたのものです。命も、心も、この身も何もかも、あなたのものだ」
 さっき着せたばかりの服を解いてゆきながら、囁きが交わされる。
 ほんの僅かな逢瀬に、それ以上の言葉は要らない。

 番いの夜が更け行く中、白い獣の長はある決断を男にとうとう告げられなかった。

"山を移る。ここは安全な眠り場所ではなくなってしまったから―――"

 
:.........next Full Moon : Feb. 2


06.3.15 07.01.03
フルムーンシリーズ、本編その4です。獣の長の決意。
N氏、逢瀬に溺れている場合じゃないよ……!

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midi by Little Box Melodyさま / photo by 月写真素材館さま

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