Cherry,
Cherry,
Cherry!




















「オレ、仰木高耶。大学四年。就職先は保育園の予定」

「保父さんですか?」
 この青年が保父という姿を想像できなくて、橘は思わず問い返していた。
 相手はしかし、幸せそうに微笑んで肯く。
「ああ。可愛いんだぜ〜ちんまいのが一杯いて」
 何を思いだしているのか、その顔は本当に優しくて愛しげな色を纏っている。
 心から子どもたちを慈しんでいるのが一目瞭然に見て取れた。

「そうですか……何だか意外な気もしますが、似合いそうですね」
 なるほどと肯いてそう言うと、相手は不思議そうに瞬いた。
「意外ってのは言われ慣れてるけど、似合うか?」
「ええ、あなたの今の顔、最高でしたよ。本当に子どもが好きなんですね」
 首を傾げる様子がどこか幼くて、橘は親のような微笑みを浮かべた。相手は元気良く肯いて、にかっと白い歯を見せる。
「おう。オレは体力あるし、まぁ悪ガキども相手でも頑張れるだろうよ」
「目に見えるようです」

 即座に肯かれて、高耶は赤くなった。男の台詞が本気のものだと伝わったからである。
「へへ。照れるな」
 くすぐったそうに笑う彼に、橘は柔らかな笑みを浮かべたまま続けた。
「いい保父さんになれますよ。私も子どもがいればあなたのような人に任せたいですね」

「……いないんだ?」
 高耶は一瞬の空白をおいて、語尾を上げた。
 揶揄するような、疑わしげな目線に、橘は苦笑した様子である。
「その意味深な間は何ですか?私はこの通り独身ですし、お客さま方とは下手なことはしませんよ」
 すると相手は慌てて首を振った。
「あ、ごめん。変なこと言って悪かったな」
 社会的ルール上、言うべきでない類の疑問を口にしてしまったことに、高耶はたちまち後悔の念を生じた。

 例えそんな疑問を持ったところで、口にすべきではなかったのだ。こんな下世話な勘繰りは。
 思慮に欠けるというにも程がある。

 しかし、目を伏せた高耶に対して、相手は真顔で首を振った。
「いえ、怒っていませんから、気になさらないでください。高耶さん」
「……」
 そればかりか親しげに名前で呼ばれて高耶は正直面食らってしまった。
 怒っていたら態度を硬化させるだろう。それを、むしろ崩してきたということは、やはりこの男は自分などよりずっと大人なのだ。
 戸惑いと感心、そして自らと比べた器の大きさの違いに、口を止めてしまった彼だった。

 それを不快の表れと取ったのか、橘が少し眉のあたりを曇らせた。
「この呼び方はお気に召しませんか?」
 目が合って、高耶はすぐに首を振った。
「いや、全然構わないけど」
 すると、男はほっとしたように目元を緩めて、
「そうですか。―――いいお名前ですね。高耶さん」
「そうかな。ありがとう」

 この男の声で呼ばれると、何だか独特の響きを帯びて聴こえる。これまで22年間つきあってきた名前だというのに、おかしなものだ。
 さすが美声は違うな、と感心して、高耶はワイングラスを傾けた。

 和やかな会話のうちに、卓の上では順にコースが進行しているのである。はじめから予約してあったらしく、男が何かを言いつけるのは見なかった。このワインも黙っていたら出てきたものだが、酒の嗜みがあるというわけでもない高耶にも、それが非常に美味しいものだということはすぐにわかった。香りも色の深みも、格別なのだ。

「私のことは直江と呼んでください。橘は通り名ですから」
 そうしてワインの舌触りのよさを楽しんでいると、相手がそんな風に言葉を続けた。
「え、それなら、直江っていうのが本名?」
 グラスから唇を離して問うと、相手は肯いて、
「そうです。直江信綱。妙に時代がかっているので仕事では使っていません」
とフルネームを名乗ってきた。
 その響きを反芻して、高耶はふむふむと肯いた。
「信綱、か……。確かに重厚だよな。でもかっこいいと思うけど?雰囲気が落ち着いてるから似合う」

 相手は苦笑と共にその由来を語る。
「祖父が名付け親でして、ご先祖の名前から字画の良いものを選んできたらこうなってしまったんです。
 子どものころは、いいからかいのネタにされたものですよ。小学生に『信綱』はねぇ……」
 遠い目をして唸る姿に高耶が目を丸くした。
「実はいじめられっ子だったとか?意外だなぁ」
 その見張りようがかなり大仰だったので、橘―――直江はさらに苦笑した。
「私にだって子ども時代はあったんですよ。生憎と」
「ふうん?見てみたいなぁ、直江の小学校時代とか」
 悪戯な笑みを返す青年に、彼は肩をすくめる。
「大人をからかってはいけません」

「オレだってとっくに成人してるんだけど?」
 心外だと言わんばかりの瞬きに、重々しく首を振って彼は続けた。
「学生のうちは大人とは言いません。それに、11も年下となれば、子ども扱いしたくなって当然でしょう」

 すると青年はその言葉の一部に反応して、フォークの動きを停めた。
「11?じゃ、直江って今……」
「33です」
 淡々と返った男の答えに、青年は手を停めたままため息のようなものを吐いた。
「へえ……見た目若いのに、雰囲気が落ち着いてるから年齢不詳だよな」
   しみじみしたようなその言葉に、直江もため息をつく。
「よく言われます」

 苦笑したときに、目元に小さな皺が出た。笑くぼと言っていいのだろうか。何だかとても穏やかな感じがして高耶はそれが気に入った。

「いいなあ。可愛い」
 思ったままに呟くと、相手が意外そうな眼差しになって問いかけてきた。
「可愛い……って、私がですか?」
「おう。笑ったときの笑くぼがいいな」
 動きを再開したフォークで料理を摘まみながら、高耶は上機嫌で肯いた。
 至極楽しそうな口調に、直江は複雑な顔になる。
「それは、保育園の子どもたちと同レベルの扱いでは……」

 確かに、普通は大の男に『笑くぼが可愛い』とは言わないものであるし、言われても喜べまい。

「あ、ごめん、怒らせるつもりじゃないんだ。オレとしてはすごく良い意味で言ったの」
 それに思い至って慌てて謝った青年だが、相手はやはり真顔である。
 こちらも手元の動きを停めて、
「怒ったわけではありませんよ。そんなことを言われたのは初めてで、驚きました」

「そりゃ、No.1ホストとしての直江はきっと可愛いなんて言わせる隙は見せないんだろう。今は仕事じゃないって言っただろ?だから橘義明のときの直江とは違う印象なんじゃないのかな」

「はあ、なるほどね」
 自分ではあまり意識していなかったことを色々指摘されて、直江はひどく感心した様子だった。
 それに気づいたか、相手はにまりと笑って胸を張る。
「行動心理なら任せなさい。ガキどもの心理なんかもっとずっと複雑怪奇だもんなぁ。いい加減慣れるってもんさ」

「……やっぱり幼稚園児と同列扱いなんですね」
 胸を張っての言は良いのだが、結局は幼稚園児と同レベルの話に帰着してしまうらしい。
 可笑しそうに笑う直江に、高耶は陽気な風で首を傾げた。

「あれ?そうなってる?悪い悪い。癖になっちまってて」
「いーえ、怒ってませんから」
 にっこりと微笑んだが、相手には納得できないようである。手元はそのままに身を乗り出して、
「あ〜、その言い方は怒ってるだろ〜?」
 目を覗き込んできた。
「……怒ってませんてば」
「い〜や、絶対怒ってる」

「高耶さん……あなた、お酒弱いんですね……」
 妙に絡む相手に、直江はようやくその所以を察して、苦笑した。
 どうやらワインが効いたようである。潰れるような酔い方ではないが、本来よりも気分が陽気になっている様子だ。

 そのテンションのままで、相手は首を振った。
「酔ってない」
「いいえ、酔ってます。大いに酔ってますよ」
「酔ってないってば」
「それならほろ酔いです。いずれにしてもワインのせいですね」

 押し問答のように見えるその会話も、実際にはくすくす笑いと共に交わされた軽い冗談のようなもの。

「え〜違うってばさ〜」
 少しばかりハイテンションであるからといって、酔っ払いのような始末におえない手合いではない。
 初対面の会話のぎこちなさを補うには丁度良い加減であるかもしれなかった。―――尤も、二人とも街角でのめまぐるしい一幕以来、最初から緊張とは無縁の気安さを感じてはいたのだが。


 酒が入って口が軽くなった青年と、オフでの食事という珍しい状況で普段の鉄壁が甘くなっている男とは、こうして最高の場所で楽しい一席を過ごしたのだった。



02/11/29



ああ―――今日も妖精が終わらない。(←抹殺モノですね)
明日こそは。ええ明日こそは―――

さて、保父さんな高耶さん。どうでしょう?唐突にそんな彼が浮かんできて、ホスト直江さんとのあまりのギャップに一人笑っていたのは私です……(ブキミ)
(でも直江さん、ホストっぽいことはしてませんね。なんせ、幼稚園児と同レベルでのお話になっていますもの。)
そしてお名前。はなっからファーストネームで呼ぶあたりが誑し込み。―――かもしれない。むむむ。
というわけで夕食編おしまいです。次は……何編と言ったらいいのだろう?


それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。
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