桃源郷の短期滞在客
都会の真ん中にこんな場所があることを、知っている者はごく僅かだ。
一歩そこへ入れば、誰も外の喧しさを忘れ、そのひそやかな静けさを楽しむ。
床は萌える芝。
そこここに自然体で伸びる緑があり、場所によっては綺麗なせせらぎすら存在する。
空気いっぱいに薫りたつ爽やかな風。
その微かな微風に頬をくすぐられて、誰もしばしの楽園を知る。
ホテル:ブラウエア・バルト―――
世間の喧騒に疲れた貴人たちのうち、ごく感覚の鋭い選ばれた者だけが、ここを見つけてしばしの閑静を満喫する。
ここはそんなひそやかな楽園だった。
その中に、ひときわ異彩を放っている青年がいた。
上流階級の人々に相応しくどっしりと構えていながら、その肢体は獣のようなしなやかさと鋭さを帯びて、抜き身の剣を思わせるよう。
同じ静けさを求めてここを探り当てた者どうしに芽生えるひっそりとした同胞意識からも外れ、彼は孤高の人だった。
誰も彼に声を掛けず、ただ心酔したように見つめるのみ。
いつも、彼が現れると空気が変わった。
触れてはならない貴石を見るように息をのんで、誰も彼を見つめるのだった。
そんな彼と初めて言葉を交わしたのは、彼に遅れること五日にして楽園入りを果たした男だった。
男は、ありあまる財産と深い教養によって、あくせくすることを知らずに悠々自適の生活を送っている人間の類であるらしかった。
どこかに島を持ち、しばしばそこを訪れては青い広大な海で魚に還るとでもいうのか、
その体は筋肉がよく締まって、鋼のようだ。穏やかな鳶色の瞳は知性の深さを語り、整った容貌がそれを際立たせていた。
この静かな楽園にひっそりと溶け込んだ男は、滞在二日目に、件の彼と近づきになった。
「……大丈夫ですか」
夕食の後のことであった。
いつものように孤高を保って一人で晩餐を済ませた彼が立ち上がったとき、たまたま男も部屋へ戻ろうとしていたところだった。
萌える芝の床を音もなく踏みながら石造りの中央階段に至った彼が、最初の段を踏んだときに足を滑らせたのである。
「 !? 危なっ……」
ちょうど目の前でふらついた体を、男は咄嗟に腕を差し出して支えた。
―――おや。
男は少し目を見張る。彼の体は、際立ったその存在感とは裏腹に案外華奢だった。
しかしそんなことを考えたのは一瞬で、すぐに背を右手で支えつつ左手で肩を掴んで相手の体勢を本来の形に戻させる。
「大丈夫ですか」
手を離して声をかけると、それまで硬直したように息を止めていた相手はようやく息を吐き出して、
「いえ、何ともありません……ご迷惑をお掛けしました」
と初めて声を発した。
予想を裏切らない、凛とした、力のある声音だった。
男は首を振った。
「いいえ。こちらこそ失礼を」
と微笑む。
「とんでもない。あなたが支えてくださらなかったら転ぶところでした」
彼も応えるように口元を綻ばせた。そうしていると、花が開いたように明るい表情が現れて、先ほどまでの抜き身の剣のような雰囲気は一変した。
人を寄せつけなかった鋭さが消えて、そこには代わりに人懐こい微笑みが浮かんでいる。
「あなたが怪我などなさらなくてよかった」
男はその変化に内心見惚れながら再び微笑した。手を差し出して、
「私は直江信綱といいます」
名乗ると、相手はその手を握り、
「仰木高耶です」
と名を告げた。
それが、始まり―――。
「高耶さんとおっしゃいましたね。あなたは何日間こちらに?」
なりゆきで二人はラウンジに入っていた。
直江の問いに、あと四日滞在しますと答えた高耶は、あなたはと問い返した。
相手はふわりと微笑んで答える。
「私もそんなものです。一箇所にこもりきりというのも、あまり長くなれば退屈なものですからね」
次はどこか本物の自然を味わえるところで過ごすのだろうと思わせる口ぶりだった。
別荘をいくつも持っている人間ならきっといつもこういう時間の過ごし方をするのだろう。その時々で、都会の中にひっそりと存在するオアシスで人工の自然とそのもたらす静けさに浸ることもあれば、南国の海にヨットを浮かべて本物の天高い太陽の光を一杯に浴びることも、といった具合に。
そんな直江に、高耶は少し沈黙したのち、
「……オレは」
と躊躇いがちに口を開いた。
「オレは……ずっとここにいたいくらいですよ……」
うつむくようにして、嘆息にも似た吐息をこぼす。
その様が、きっと、彼を取り巻く煩わしい世界から、彼はしばしの休息を求めてここへ来たのだろう、と思わせた。
ここは楽園。
外の世界の煩わしさに絶望した貴人たちの避難所。
「高耶さん……」
直江はそんな相手に、何を思ったのか少し瞳を曇らせたが、すぐにふいっとその影を振りきると、笑いかけた。
「あと四日、ありますよ。それを有効に楽しみましょう。
―――お邪魔でなければ、ご一緒させてください」
都会の楽園で、現代のアダムとイヴは出会い―――。
「ご一緒って……、建物の中で、何ができるっていうんですか」
「これまで何日間か、ここに滞在しておられたんですね。そのあいだずっと孤高を保っておられたのなら、そろそろ退屈していたころではありませんか?
人が二人以上いればね、何でもできます。
尤も、その『人』から避難して来られたのかもしれませんが、……私一人くらいなら、お邪魔にはならないでしょう?
ここに居る間だけでもいい。お友達にしてくださいませんか」
「あなたの何物をも束縛するつもりはありません。ただ、こうして側であなたに話しかける特権を、授けてほしいんです」
「……」
漆黒の瞳が上を向く。
鳶色に澄んで笑っている相手の瞳と、出会った。
瞳にうかぶのは、心の底からの想い。冗談でもからかいでもなく、ただ素直に相手を見つめている。
―――交わされた互いの瞳の奥に、これまで欠けていた何かが埋まるのを感じた。
漆黒にうかんでいた硬さが、ゆっくりと溶けてゆく。
くちびるが、ほころんでゆく。
「……構いません……」
いつしか、絡められる指。
『人』から逃れてきた二つの心が、人のぬくもりを感じたときであった。
……いまだ、凶蛇は現れない。
「おはようございます、高耶さん」
翌朝のことであった。
ブラウエア・バルトご自慢のテラスカフェにて朝食を楽しんでいた高耶に、やってきた直江が声をかけた。
このカフェは、建物の中ながら実際に水を張ってある湖―――ただし水際から十メートルくらいまでしか水はなく、その先は巧みに描かれた絵の湖と森が広がっている―――のほとりに、各テーブルが十分な間隔を取って設えられており、貴人たちは水の寄せる音と完璧なそよ風にゆったりと身を任せながら、優雅な慇懃さでもって給仕が盆を運んでくるのを待つのだった。
人の疎らな端の方のテーブルについて、皆のするようにぼんやりと永遠の緑を誇る森を眺めていた高耶は、その静けさを損なうまいというように近くでやんわりと発せられた綺麗な声に、ふっと意識を戻した。
「……おはようございます」
首をめぐらせれば、昨夜と同じ、微笑みがあった。
「ご一緒して構いませんか」
高耶のテーブルには四つ椅子があり、直江は相手の向かい側の位置にある椅子の背に手をかけた。
「あぁ、どうぞ」
高耶はどこかぶっきらぼうにそう答える。
腰を下ろしてくつろいだ格好の直江が、それを見咎めて、くすりと笑った。
「昨夜はよく眠れたようですね。……ところで、二日酔いは大丈夫ですか?」
むうっと瞳を上げて、ついと逸らした高耶である。
直江は困ったように笑いながら、相手を慰めようとした。
「恥ずかしがることなんてありませんよ。強いのを勧めた私がいけなかったんです。あなたがお酒に弱いとは思わなかったので……」
そう。
昨夜、ラウンジで話した後、酒に興じた二人だったのだが、いくらもしないうちに、高耶が酔ってしまったのである。
つぶれたというほどではなかったが、口調が変わり、少しばかり饒舌になった彼は、この普段の様子と比べると別人のようだった。
そのあたりを、本人は気にしているらしい。
「ご迷惑を、お掛けしました……」
横を向いたその顔が、赤い。
可愛い、などと妙なことを思いながら、直江は包み込むような声で諭した。
「そんなよそよそしい口調はやめにしてください。昨日はもっとくだけて話したのに。寂しいじゃないですか」
「 !? 」
瞳を見開いて相手を見つめなおした高耶は、
「……どうかしましたか」
予想しなかったその表情に戸惑う直江に、
「オレ……何を言いました?」
何か、脆く崩れてしまいそうな表情を瞳に表して問うた。
そこにあるのは、ほとんど恐怖に近い色。
取り乱したように声が上ずった。
「何を言ったんですか !? どこまでオレは……っ」
そのさまに直江は面食らう。
相手が何を恐れているのかが、彼にはわからない。
「一体……どうしたんですか。何を言ってはいけないというんです?」
手を伸ばして相手の前髪に触れる。
「……ぁ」
弾かれたようにびくりと震えた拍子に、ようやく、高耶は冷静さを取り戻したようだった。
小さく首を振って、たずねる。
「……いえ、オレ何か失礼なことを申しませんでしたか。―――何も覚えていなくて……」
その台詞の後半は不安げに揺れていた。
直江は少し寂しそうに笑って、否定した。
「いいえ。ただ、そんな畏まった言葉遣いをやめて、友達のように話してくれましたよ。……私はそれが嬉しかったんですがねぇ……少しでも、心を許してくれているのかな、と思って」
『オレ』、『お前』で呼んでくれて嬉しかったのに、と残念そうな顔をして目を伏せる。
その、純粋に寂しがっている様子が、相手の心にゆっくりと浸透していった。
それはやがて軋む心の扉への潤滑油となって、擦り込まれてゆき……
少しの間があって、高耶は言った。
「……そんなんでいいのか」
口調が、変わった。
はっとその顔を見つめた直江に、高耶はにこりと笑った。
「いいんなら、そうさせてもらうぜ。折角だし、仲良くするのも悪くない。
―――直江、って呼んでいいか?」
屈託のない、向日葵のような笑顔が眩しくて、直江は言葉を忘れる。
心を許す―――
それを、この笑顔が語っていた。
「何とか言えよ」
黙っている相手にしびれを切らした高耶が、テーブルを指先でコツンとはじいた。
自分の言ったことに少し照れているのか、目は伏せ気味だ。
直江はようやく、そんなことに気がついた。
彼は、ゆっくりと唇を綻ばせる。
その眼差しをひたと相手に定めながら、人を虜にしてきた甘い笑みを浮かべてゆく。
限りなく愛しいものを眺めるような、その瞳。優しくて、あたたかくて、そして―――熱い。
そんな目にまっすぐに見つめられて、高耶は時間をとめた。
動けない。
そらせない。
でも、それでいい。
短い夢の間くらい、いいじゃないか……
直江が言う。
「高耶さん―――今日は、どうして過ごしますか」
時は、翼でも生えているかのように、たちまち去った。
―――それぞれの、苦悩を抱えて。
滞在、最後の夜のこと。
晩餐の席に、高耶と直江は姿を現した。
すっかり慣れたように、二人でテーブルにつく。
「今夜のメインはロブスターだそうですよ。……こんな都会の真ん中で、沿海州も真っ青な活け魚を出してくれるのが、ここのいいところだ」
「ああ。家の関係であっちこっち行ってるけど、ここのは本場に劣らない」
本場の味を知る者にこそ、このホテルの良さはわかろうというものである。
「そうですね。―――香港のDimSamなんか、私は好きですが、ここの飲茶はなかなかのものです。ご一緒できて良かった」
「昨日の昼な。うん、旨かった。……給仕が目を丸くしてたよな、あんまり食べるんで」
思い出したのか、くすりと笑う高耶である。
―――席を共にした者としては大変嬉しかったですよ、あなたの健啖ぶりは。
と、直江も目元が笑っている。
高耶は胸を張った。
「育ち盛りなんだ。ぜってーお前よりでかくなってやるからな」
「おやおや。言いますねぇ。……負けませんよ」
ふっふと唇に挑戦的な笑みを刻んだ直江に、高耶はあきれたような顔をした。
「何ムキになってんだよ。……ほんと、子供みたいな男だな」
「は!」
二人は顔を寄せて笑いあう。
すっかり馴染んだ二人の姿は、周りにまで幸せな気分を浸透させるほどだった。
「失礼いたします」
給仕が前菜の皿を滑らかな動作で彼らの前に並べた。
「さて、では最後の晩餐といきましょうか」
透明な液体の注がれたグラスをくいと持ち上げて、直江はじっと高耶をみつめた。
応じるようにグラスを取り、その目を見返す高耶。
まっすぐに、交わされる瞳。
何か、狂おしいほどの想いが、その瞳には隠されている。
―――……
何か、伝えたいことがある。
その、何か言いたげな瞳はしばし互いを見つめあい、量りあう。
―――私は
―――オレは
―――本当は……
けれど、それは唇を動かすことはなかった。
「……あなたと過ごす、最後の日に、乾杯―――」
瞳の奥で揺れる何かを、諦めたように消して、直江の唇が紡いだのは、そんな言葉だった。
高耶も同様の過程を経て、グラスを差し上げる。
「―――乾杯」
それぞれの苦しみに、二人はひっそりと嘆息していた。
その晩餐は、いつになく静かだった。
食事を終えて、二人は最上階に上がった。
足元は萌える草。木々が立ち並び、小さな森を形作っている。
ひとけはない。
その天井はドーム状になって、ガラスの向こうに、美しい星空が広がっていた。
夜の闇はぬばたまの黒。
決して何も無いただの闇ではない。
黒耀石のように、大鴉の羽のように、何かを秘めた黒―――。
その夜に、燦然と輝く煌きたち。
ちりばめられた輝石は、遥か遠い遠い太古へと、思いを馳せさせる。
いつの世も、星は輝きの下に人の子の営みを見守ってきた。
星は、語らない。
ただ静かに輝いて、人を包んできた。
見上げれば、いつもそこに星はある。
―――二人は黙ってその煌きを見上げた。
何を思っているのか。
直江も高耶も、どこか沈んでいる。
「……ユメ……」
ぽつりと高耶が呟いた。
「何ですか」
目を隣に戻した直江だが、相手は空を仰いだままだ。
その姿勢のままで、ゆっくりと瞼を閉じてゆく。
頭上の空と同じ、漆黒の瞳を、下りてきた睫毛が隠した。
「……夢の時間が、終わる」
ふうっと吐き出すように紡がれた言葉。
―――明日からはまた、家に縛られた日常が戻ってくるのだ、と、その言葉は直江に思わせた。
聞いて、その瞳に苦いものが浮かぶ。―――あぁ、このひとは別の世界へ帰ってゆくんだ―――
それをゆっくりと沈めて、彼は口を開いた。
「夢の時間……そうですね。ひとときの楽園が、終わろうとしている―――」
今度は直江が嘆息する。
その横顔にちらりと目をやって、高耶はつらそうに眉を寄せた。―――自分の手の届かないところへ、この男は帰る―――
そんなちくりと胸を刺す痛みに、彼はきつく目を瞑った。
じくじくと痛み出す、胸。
ふと、二人の心に去来する何か。
「楽園追放―――」
―――えっ !?
はからずも、二人は同じ言葉を口にしていた。
「同じことを……あなたも思ったんですか」
「直江……」
「私は明日の朝、この楽園を出てゆきます……それがまるで、アダムとイヴのようだと―――そう思ったんです」
二人は黙り込んだ。再び沈黙が落ちる。
やがて高耶がぽつりと口を開いた。
「アダムとイヴは、どうして果実を口にしてしまったんだろう……」
小さな囁きが、時折吹いてくる微風に流れた。
「高耶さん」
直江が彼を向く。
高耶はふっと自嘲めいた微笑を刻んで、直江の方へ首をめぐらせた。
漆黒の髪が、さら、と風に溶ける。
同じ色の瞳が、流し目のように直江を見た。
「っ」
「―――どうして」
息を止める直江を既に映していない瞳で、高耶は呟き続ける。
「……わかってたはずなのに、世界が違うってこと。
それは自分たちとは違う世界のものだと、知っていたのに、何で、手を伸ばしてしまったんだろうな……」
まるで、自問するように。
直江の中で、何かが動いた。
「……わかりました。―――たった今、わかった……」
彼は、ふいに喋り始めた相手に戸惑っている、漆黒の瞳をじっと覗き込んだ。
熱いまなざしが、高耶の頭の芯を絡め取る。
「知っていたんです。食べてしまえば破滅が待つことは。そのくらい知っていた。
―――けれど、それでも構わなかったんだ。
先のことなんて、考えていない。
ただ、『今』が欲しかったんです」
瞳が近づく。
直江の長い指が高耶の顎をとらえた。
ぁ
唇が重なった。
直江は相手の背を強く抱きしめる。
抗う気配は、すぐに消えた。
深く唇を重ねながら、高耶は相手の首に両腕を回した。
しがみつくようにして、強く抱きしめる。
都会の楽園。
最上階の夜の森に、二人の姿は溶けていった。
「禁断の果実は……こんなところにあったんですね―――」
楽園追放の時―――
翌朝のこと。
いつものカフェテラスで、二人は一緒になった。
共に取る最後の食事だ。
昨晩のことをどう思っているのか、二人はどこかぎこちない。
「直江……」
静かな朝食を終えて、彼らはようやくまっすぐに向き合った。
昨晩と同じ、あの森で。
口火を切ったのは、高耶だった。
「聞いてほしいことが、ある」
「オレはほんとは……こんなとこに居るはずのない人間なんだ。
家に縛られて息も出来ない、なんていう大層な身分の出じゃない。あちこち世界中を回ったなんて、嘘だ。本場の味なんて、知りもしない。
オレは両親の無い、何の保障も持たない人間だ。
働きながら夜学で勉強して、ようやく司法書士になったばかりで、まだ就職先さえ決まってない。
なかなか雇ってくれるところが見つからなくて、くさくさしてた。
―――そんな日常から抜け出して、ほんの一週間でもいい、こんな風にゆったりと一流のホテルでくつろいで、上流階級の人間のように過ごしてみたくなった。
それで、バイトして金貯めて、ここに泊まりにきたんだ」
高耶はうつむきがちに、そう話した。
嘘をついていたこと、相手を騙していたことを、告げるのは、身を切られるほどにつらかったに違いない。
けれど、彼は精一杯の想いで、微笑んでみた。
「……びっくりしたろ?こんなの、話したくなんて、なかったんだけど……。
でも、お前にはこれ以上嘘をつきたくなかった。
オレはたぶん、お前が好きなんだ。
昨日、お前も同じことを言ってくれたよな。
―――嬉しかったんだ」
一旦言葉を切って、再度同じことを彼は言った。―――嬉しかった、と。
そして、呆然としている直江を見て、悲しげな顔になる。
「でも、それももう終わりだな……今日、ここを出たら、オレとお前は住む世界が違うし、それに、……軽蔑、したろ?オレのこと。嘘ついてこんなこと……」
悲しい告白は、ふいに抱擁で遮られた。
「なぉ……」
「高耶さんっ……」
昨晩と同じ、強い腕で、高耶は抱きすくめられている。
その耳元で、ぎり、と唇を噛む音がした。
「―――軽蔑、されるべきは……私の方です……!
私だって、富豪なんかじゃない。有閑人なんて、とんでもない。
俺は、毎日毎日仕事に追われて息つく暇も無い、弁護士だ。
日々を書類と訴えびとたちに埋もれて、自分は一体何を見て生きているのかわからなくなって―――。ここへ来たんです。
ぎすぎすになった心を休めようとして、そして、時間にも金にも追われることのない有閑人のような気になって、楽しんでいただけなんだ」
耳元でなされる激しい告白に、高耶は目を見開いている。
「……嘘をつきました。あなたを騙した……。俺の方こそ、軽蔑されてしかるべきです!
あなたの瞳に拒絶されるのは、何よりもつらいけれど……。仕方のないことですね。自分で蒔いた種だ……」
つらい、押し殺した絶叫のように、直江は独白した。
今度は直江が高耶に抱きしめられる番だった。
「馬鹿やろぉ……こんなの、反則だ……っ。人が、あんなに悩んでたのに、お前も同じだったなんて。
オレ、馬鹿みてー」
直江の背に腕を回して力一杯に抱きしめながら、高耶は泣き笑いのように顔を崩していた。
「高耶さん……」
「もういいよ。
オレたちの食った果実は、新しい楽園への扉だったんだ。そうだろ?直江」
高耶の顔は、再び、向日葵のような笑顔だった。
―――――――――――― fin.
さてさて、らぶらぶになって……いませんね(笑)
あうう。
何でかなあ……。好きなんですけどね。仲良しさんたちって。なのにどうしてか、暗くなってしまうのです。
いかんのぉ。
(それにしても、「短編」のくせに、やけに長くなりました……右のスクロールバーを見てくださいな、このちっちゃさ!)
何はともあれ、読んでくださった方には、ありがとうございます★
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