the flight

















 突然動き出した13人の男たちは、それぞれ、コクピット、客室、乗務員室へ散り、事の次第を理解できずに呆然としている乗務員たちに銃を突きつけていた。

 客室では、ビジネスシートとエコノミーにそれぞれ二人と四人が左右の通路に分かれて陣取り、360°の方向へ油断なく銃口をめぐらせている。
 客室からはコクピット内部や乗務員室の様子はわからない。しかし、聞こえてきた短い悲鳴と物音がすぐにやんだところをみると、どうやら同じ状況にあるらしいことは窺えた。
 事実、すぐに乗務員室から一人の女性アテンダントが連れ出されていたし、就寝時間のために落とされていた客室の照明がぱっと点灯したことからも、二箇所が既に抑えられたことを示している。照明灯はコクピットから操作されるようになっているのだ。

 ―――しかし、そんなことが起こっていながら、乗客たちはぴくりとも動かなかった。
 それもそのはず。彼らは既に、普通ではない眠りに落ちていたのだから。
 原因は夜食の際に出されたオレンジジュース。
             、 、 、 、、
 ―――そのことを、知っている人間たちも乗客の中には実は存在している。そしてそれらは二派あった。
 けれどその人間たちは敢えて眠り込んだふりをしていた。
 見た目には全く他の乗客たちと変わらず、深い寝息をたてている。
 ざっと一なめした程度では、全員が揃って眠り込んでいるようにしか見えなかった。

 そのことを確認して満足した様子で、客室の男たちは行動に掛かり始めた。

 男たちは今や、つい先ほどまで一般の乗客を完璧に装っていたとはとても信じられないような、特殊な気配を纏っている。
 服装だけがどこにでもありそうなヤングファッションや背広で、それが却ってそれを着ている人間たちの不気味さを増していた。
 このとおり、年齢はばらばらだ。
 いずれも、無表情で、かつ統制の取れた動きをする。
 リーダーとおぼしき男が素早く指示を出すと、男たちは監視役と活動員とに分かれて動き始めた。

 客室にはリーダーを含む三人が監視役として残り、他の三人が先ほど乗務員室から連れ出された女性アテンダントを連れて奥へ消えていった。
 コクピットには、先ほどの突入時に三人が中へ入って行ったきり、動きはない。

 この男たちの目的は、この機が運んでいる乗客と貨物の中にあった。
 この機は旅客用機ではあったが、乗客の荷物以外の貨物も積んでいた。
 その中に、開発段階のCPUモデルが大量に積まれている。そして、乗客の中にその開発責任者の一人がいるのだ。その機内持ち込み品の中にはむろん、機密レベルの情報が入ったPCが入っている。
 この両者を手にするということには、非常に大きな意味がある。
 実はこのCPUは、各国の中枢部のPCに組み込まれる予定で特別に開発されているのである。
 つまり、このデータを持っていれば、今後あらゆる組織に重宝されることが確実なのだ。たとえ、試作段階であっても、その概要だけでも手にしていれば応用はいくらでも展開することができる。直接各国の首脳部にハックをかける目的でなくても、さまざまにアレンジすることでその用途は無限に広がるのだ。
 何と言っても、政府機密を管理するPCのために開発された特別仕様品なのだから。巷に溢れる子どもの玩具のようなしろものとはわけが違う。
 このグループは全員で13人という大規模な編成だったが、目当てのものを手に入れることができれば親組織の構成員全ての頭数で割っても十分に元を取ることが可能だと見込まれていた。

 客室に残った男たちの一人が、標的を確認してそこへリーダーを案内した。
 標的の男は意識が完全に水面下に沈んだ状態でさえ、腹の上にしっかりと小型のPCケースを抱え込んでいる。
 B5判よりもさらに一回りほど小さそうなその荷物が金塊にも等しいしろものだということを、知る者たちは微かに唇のあたりを歪ませた。意識がなくともしっかりと両腕で守ろうとする体勢にあることは少々驚きに値したが、結局意識がない以上、こうやって手を伸ばすだけでそれは簡単にこちらのものになる。
 リーダーが手を伸ばしてそのハンドヘルドPCをゆっくりと男の腕から引き抜いた。不用意に乱暴にして男を目覚めさせる必要はないのだ。一度中身を複写するだけの間、こちらの手の中にあればそれでいいのだから。

 ―――リーダーがケースからPCを取り出して満足そうに微かな笑みを浮かべた。




 その瞬間のことだった。



 シュッ―――!


 小さなハンドヘルドPCが、閃光とともに火を噴いた。


「―――ッ!」
 一瞬の激しい光に、三人の男たちが目を射られる。同時にリーダーは両手に火傷を負い、声にならない悲鳴とともにPCの残骸を放り出した。

 それが合図だった。

「っらぁぁぁ!」
 、 、 、 、 、、、
 寝ていなかった乗客たちが、一斉に三人に飛びかかる。そして、一歩遅れてさらに新手の動きが起こった。
 同時に、客室と貨物室でも音が上がっている。


 ―――乱闘が、始まった。

 いつのまにか機内には濃い煙幕が張られている。
 敵も味方もない、激しい乱闘があちこちで起こり始めた。

 先ほど最初に三人に飛びかかった男たちは、特捜だった。
 そう。
 このジャックは囮捜査の一環だったのである。
 この機で例のCPUが運ばれるという情報を操作して、食いつかせたのだ。
 同じような餌自体はこれまでに何度も蒔いてきた。その度に同じ用意をして臨戦体勢を築いてきたが、そうやすやすとはのってこない。何度も徒労を経験して、それでも必ず、と諦めずに網を張り続けて、ミッションは既に二年越しのものだった。
 そして今回、初めて大魚が網にかかったのだ。
 ようやく、という想いに溺れることはしかしなく、特捜の将たちはシミュレーション通りに各自、展開し、伏兵を殲滅しにかかっている。

 伏兵というのは、先ほど特捜の後に動き出した者たちがそうである。
 最初の実行者たちは13人のグループだったが、実際に計画に加担していた人員は他にも存在していたのだった。
 それらはおそらく特捜の存在を仮定しての予備員だったのだろう。敵も警戒を怠ったわけではないのだ。

 兎にも角にも、彼ら予備員たちは特捜の動きを知った瞬間に飛び出して予め与えられていた役割を果たすべく特捜の将たちに挑んでいったのだった。

 特捜の将の数は、きっかり二十。
 犯行用員たちは総数五十あまり。

 ―――単純計算で、一対ニ乃至三。
 しかし、フィールドの整備権がある分だけ、地の利は特捜にある。それでどうやら拮抗する程度だ。


 機内は、怒声と格闘音、そして両者の闘気に満ち満ちた。




 高耶は煙幕の中で三人を相手にしていた。
「うらぁあぁ!」
 狭い通路を座席の上も下もなく、白刃が踊り舞う。
 唸り来るのは必殺の拳。
 それらをあるいは体ごと避け、あるいは鞘に納まったままの愛刀で薙ぐ。
 一般の乗客のことを考えて、敢えて抜刀しない。
 重い刀身それ自体を杖(じょう)のように使って、突き攻め受けの全てをカバーする。

 カゲトラとしての高耶の技量はむろん、単独ならばこのような相手に遅れを取るはずもなかったが、今回は条件が悪かった。
 個々での技量では劣るとしても、相手は三人がかり。
 どうしても防戦にまわる展開になってしまう。

 シャッ……

 鞘が何度も相手の攻撃を受け流す。



 ガキッ

 相手の白刃を受けてはじいた際に、鞘の表面が嫌な音をたてた。
 無敵装甲の二つ名を取る黒金鋼製のそれも、さすがに耐えかねたのだろう。表面が微かながら抉れていた。

「……んの野郎!」

 高耶はそれを認めた瞬間、一個の炎の玉になった。
 ―――いや、朱雀と言った方が正しかろうか。

 四年前から自分とともに在り、いつも何よりも大事にしてきた愛するこの剣に、鞘の表面とはいえ、傷をつけられた。

 その怒りが、彼に限界を越えさせる。
 普段ならばセーブされている激情のすべてが戦闘力に集約されて噴き出す。
 燃え上がる赤のオーラを身に纏い、カゲトラは朱雀になった。

 怒りのままに跳び、腕を振るい、脚を繰り出す。
 黒い鞘が宙を切る鋭い音の後に続くのは、例外なく、肉にめり込むくぐもった音だった。

 その激しいといえばあまりにも激しい戦いぶりに、ついに二人までが倒れた。剣は鞘ごと使っているし急所はわざと外しているので命はあるはずだが、それも、当たり所が悪ければ保証はできかねた。

 ―――そして、最後の一人は。


 二人を打ち倒した僅かな隙に、カゲトラは第三の男を死角に入れてしまっていた。

「ちぃっ」

 失態に気づいてカゲトラが舌打ちしたときには、最後の男は煙幕に身を隠していた。

 既に気配は消されている。
 一体どこから自分を狙っているものか、皆目見当がつかなかった。

 カゲトラは目を閉じた。

 自棄になったわけではない。
 どのみち煙幕のせいで視力は役に立たない。それを捨てて、他の4感の働きを助けるためだ。
 それが吉たるか凶に出るか。

 相手の出方ですべてが変わる……


 ―――永遠とも思われた一瞬の後に、轟いたのは引き金に指を掛ける音とそれに被さるようにして放たれた一発の銃声だった。




 やられた、と最初の引き金の音を耳にしたとき咄嗟に思った。
 その音はまさに自分の体の正面側から聞こえてきたから。
 一番無防備な部分を射程に入れられてしまっていたのだ。自分の勘が告げた方向とは別の場所から。
 銃声を耳にしながら、負けたな、と思った。
 身をかばう暇などない。このまま胸を打ちぬかれておしまいだ。

 けれど。

 いつまでたっても来るべき衝撃は来ずに。
 代わりに、体が、ぐい、と温かい腕に引きずり込まれた。そのままずるずると床に尻をついて、後ろから腕が回され、すっぽりと抱きすくめられる。

 鼻腔をくすぐる、硝煙の臭気と、何か別の甘い匂い。

「なおえ……?」

 間違えようもない、彼の香りがした。
 肯定するように腕が強くなり、背中が相手の胸にぴったりと密着する。

 目を開けてみると、先ほどの男は直江の銃に胸を打ち抜かれて倒れていた。
 そして、自分の腕に回されている大きな手は、その節張った長い指は……

「直江……」
 安堵から、高耶は体から力を抜いて背中を相手に預けた。
 名前を呟くだけで、例えようもなく安心できた。
「……まったく。あなたという人は無茶をする。一人でくろうと三人を相手にしようだなんて」
 息がかかるほど近くにある顔。
 押し殺した声が耳元をくすぐる。

 エコノミーの最前列座席とスクリーンとの間、狭い隙間に二人して座り込んでいた。
 高耶は既にそこから立ち上がって仕事に戻るつもりはなく、当然直江も離す気はないようだった。

 音を聞く限りでは、戦闘にはあらかた決着が見えてきたようだし、と二人はそのまま狭い場所で窮屈にくっついていた。

 客室や乗務員室の物音は特捜側に形勢が傾いてきたことを伝えてきたし、足元の貨物室については予め特別班が待機して薬で犯人たちを一からげに逮捕してしまっているはずだ。
 また、コクピットには最初から機長・副機長はじめすべての人間が特捜の将と入れ替わっていたので、そもそも男たちが踏み込んだ時点で決着はついていた。コクピット内は初めから制圧されてなどいなかったのだ。
 久々にでかぶつを相手にできるぜ、と嬉しそうに笑っていた操縦マニアの同僚を思い出して、高耶はふと笑った。

 ―――そういえば、前も千秋の操縦で直江と乗って行ったな。
 さらに繰り上がって二年前のことを思い出し、少しだけ顔が赤くなる。


 そんな気配に気づいてか知らずにか、直江は高耶の耳元に囁いた。
「もうそろそろ……全て終わったようですね。静かになってきました」
 事情を隅から隅までわかってでもいるかのような直江の台詞に、高耶は首だけをめぐらせて後ろを振り返った。
「お前……知ってて?」
 オレたち特捜が今日、こうして網を張っていたことを知っていて、それで……わざわざフライトアテンダントの真似事なんかやっていたのか。
 二ヶ月も前から……。
「ええ。特捜も荒っぽいことをする。一歩間違えればこの機は吹っ飛んでいましたよ。連中、物騒な玩具を持ち込んでいた」
「おま……」
「何にしても、あなたに傷がつかなくて良かった」
 高耶の右肩を抱いていた左腕が少し上に持ち上がり、長い指が右の顎のラインをいとおしげに撫でた。

 高耶の瞳に涙が浮かぶ。

 ―――お前、いざとなったときにオレを助けるために、こんな偽装してまで、二ヶ月も時間使ってまで、潜り込んでたのかよ……

「……ば……かやろ……っ、お前わざわざそんなことのために……!」

 涙がぼろぼろこぼれ落ちた。

 ばかやろう……

 嬉しいくせにそんな言葉しか出てこない。

 呆れ、泣きながら、高耶は身をよじって上半身だけむりやり振り向くと、男の顔中にキスの雨を降らせた。
 鼻の頭に、頬に、顎に、額に、瞼に、睫毛の上に、そして唇に。

「ちょ、っ……、高耶さん、苦しいですよ」

 思う存分突つかれてさらに力いっぱい首に抱きつかれた直江が、笑いながら両手を上げた。
 困ったようなことを言いながら、その顔は愛しさにあふれ、とろけるように優しい。

 その温かな気配がやがて相手にも伝播し……二人は深いキスに縺れ込んでいった。

 ―――狭い座席と壁との隙間で、思う存分戯れあう。



 煙幕が晴れるまで……。




020925






fin.

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