「まさかあなただったとは……」
がらりと変わった口調は、しかしそれこそが自分の馴染んだ響きだった。
こんなふうに話しかけられていた。
この声で『あなた』と呼ばれていた。
愛していた。
愛されていた。―――けれど、一度も言えなかった。
―――それなのに……
「景虎様……待っていました。長い長い間、あなたの帰りを待っていた。もう二度とこの手には戻らない筈のあなたを、ピアノと語りながら待っていました。
そのあなたが……帰ってきてくれた」
病で失った主人を待ち続けた忠実な執事は、ようやく再び出会えた主人を万感の思いをこめて抱きしめる。
「お帰りなさい……景虎様―――」
「直江、ただいま」
―――今のオレは『高耶』だよ。お前は今でも直江なんだな
―――ええ、そうです。あなたは間違えなかった。たった今まで無くしていた記憶の中から、それでも違わず私の名前を呼んでくれた。
こんなに嬉しいことはありません……
―――オレは今でもお前の主人か
―――このピアノと私の主人はあなたです。高耶様
―――『様』はいらない
―――では……高耶、さん
―――それでいい
誓いの言葉すらなく別れた過去。
不思議な世界の住人と、生き世の住人―――もともとが、住む世界の違う人間同士だった。
森の中でしか逢えないと知っていて、それでも惹かれた。それを口にすることはついになかったけれど。
とうとう離れがたい仲になったとき、体に変調をおぼえた……
―――束縛したくなかったから何の言葉も残さなかった。死にゆく身には何の契も結べない、と。
言葉なんか無くても永遠に待ち続ける。たとえ二度と逢えなくても、待っている―――
寿命を持たない身で、見えない未来のために、気の遠くなるような時間を過ごそうとしてきたお前。
一人にしておけなかったから、きっと戻ってきた。
他の誰かに取られる前に、また戻ってきた。
―――再会に、言葉は要らない。
「高耶さん……私のために弾いてください。あの曲を……」
長い時間をたった一人で生きさせて、それでも待ち続けてくれたお前に、贈ろう。
聖夜の贈り物。
最後の日、お前のために弾いたあの曲を。伝えられない言葉の代わりに、弾いた曲を。
そうして高耶は白い鍵盤の上に指を乗せる。
―――紡ぎだされる光の洪水。
たった一人だけのための、恋歌が始まる……
02/12/24
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