*
* |
*
* |
*
* |
*
* |
*
* |
*
* |
義明さんの普段着な一日。
朝。
それは最愛の人の優しいキスで始まり……
―――は、しない。
ところは陽光も爽やかな高台にある南向きの静かな高級マンション。
万では買えない、住めないそんなマンションの最上階の一室で、橘義明こと直江信綱はキングスベッドに沈んで安らかな寝息をたてていた。
彼は気づかない。
朝から元気な同居人が、何度揺さぶっても目を覚まそうとしない自分の寝顔を見下ろして、ふと悪戯な笑みを浮かべ、
せえの!
と床を蹴ったことに。
―――0.3秒後、
「こらっ直江、起きろ〜!遅刻するぞ!」
ばふっ
と腹の上に飛び乗られて、つぶれかけたカエルになる寸前で目を覚ます。
「あ〜、やっと起きた」
限界まで開ききった瞼の向こうに、人の腹の上に座ったままこちらを覗き込んでくる愛しい人の顔が見えた。
「た、高耶さん……」
声もろくに出ない。瀕死の声音で抗議すると、相手はようやくそこから降りてくれる。
「……もう少し穏やかな起こし方はできないんですか……?」
胃はカラのはずなのにうえっとこみ上げてくるものを感じながら、人を内臓破裂死寸前にまで追い込んでおきながら知らんふりでさっさと台所へ向かおうとしている彼を恨めしく見つめても、返る返事はつれない。
「なぁに言ってんだ、そんなヒマねーよっ。こっちはメシの支度で忙しいんだ。
さっさと起きた起きた」
振り向きもせずにひらひらと手だけを振って、彼は寝室を出て行ってしまった。
「はぁ……」
情けない顔で呟いて掛け布団を畳みにかかりながら、ふと何か引っかかりをおぼえた直江である。
「あれ?遅刻……?」
違和感。
畳んだ布団をベッドの上に放って、リビングへ出た彼は、そこに掛けてあるカレンダーを覗いて、やっぱり、と合点した。
「高耶さん、今日は日曜ですよ」
「ええ !? 」
忙しく音を立てている台所の方から驚いた声が上がって、さいばしとボウルで両手を塞いだままの高耶が飛び出してきた。
「ありゃ……。てっきり平日だと思ってた」
ガラス製のボウルの中に入っているのは、みずみずしい生野菜である。カレンダーの前でがっくり肩を落としながらも、和える手を休めないところが彼の主夫っぷりと表していた。
「は〜。慌てて損した」
あんまりがっかりした様子なのが可愛くて、寝覚めの悪かった直江は逆に元気を取り戻した。
さすが、彼である。
にわかに大人の余裕な笑みを浮かべて、
「まあ、そんなにがっくりなさらないで。今日一日をそれだけ長く過ごせるということなんですから」
と肩を抱きにかかるが、どっこい、
「あ、やべ。火ぃかけたまんまだ」
あと一歩というところで、高耶はするりと抜け出して台所へ戻っていってしまった。
行き場をなくした手の処理に困っていると、
「な〜、そろそろ着替えたら?ってか、寒くねーの、その格好で」
台所から声が飛んできた。その合間にも、包丁の音は止まず、鍋の歌う声も賑やかだ。
直江は自分の体を見下ろしてみた。そして、少し微笑を浮かべる。
彼は下半身にはさすがにパジャマを穿いているが、上半身は素肌のまま。見事な均整のとれた肉体がリビングの掃き出し窓から差し込む朝の陽光にさらされている。
それに対して微笑んだのは、相手が自分のこの体をよく褒めてくれるからだった。いい体してるよなぁ、とうっとりにこにこ笑う彼を思い出しての笑みだったのである。
―――いちいち幸せな男だ。
「何笑ってんだ?もうメシできるぜ。それまでに何か着てこいよ。
あぁ、オレが脱いだやつそこに置いてあるから着れば?」
ぴょこんと台所の入り口から顔を覗かせた高耶が、リビングのソファを指して言ってから、また引っ込んだ。
彼の指したところに半ば畳まれて放ってあるのは、直江の穿いているズボンの上着部分。
千秋や綾子が見たら大いに疲れてがっくりしそうな、らぶらぶぶりである。
一着のパジャマを二人で仲良く上下に分けて着ていたというのだから。ある意味、ペアよりよほど始末が悪い。
しかし他人の評価などどうでもいい直江は、ソファのところまで歩いて行って、それを拾い上げた。
黒いシルクのそれをばさりと宙に広げて袖を通し、片手でボタンを留めにかかりながら腰を下ろす。
上の方を留めずにおいたのは、高耶が彼の鎖骨のラインをお気に入りだからだったりする。
リビングテーブルの上に置かれていた新聞を手に取り、深く座りなおして彼はそれを広げた。
政治面を軽く読み飛ばして、経済面へ目を通す。
軽く眉をひそめてふっと息をはき、前髪をかき上げるような仕草のいちいちが、サマになる男だ。
本人は無自覚、無意識でやっているのだが、彼の同居人から言わせれば、朝っぱらからそんなに色気を演出するな!ということになるらしい。
高耶は先ほどのサラダボウルを食卓へ運びながら、横目でそんな直江の仕草に見とれていた。
カタン、と音をたててガラスのボウルがテーブルの上に置かれると、相手が振り返った。
にこりと微笑み、
「私も手伝います」
と立ち上がる。
「ん。調理台んとこに置いてあるやつ適当に持ってきてくれ。並べんのはオレやるから」
小さめのボウルにサラダを盛り分け、スライスしたレモンを手際よく載せてゆきながら答える。
盆の上にコーヒーサーバーや目玉焼きのプレートなどを載せて戻ってきた直江がそれらをテーブルの上に移しながら言った。
「ワゴンか何か買いますか?毎度毎度こうやって移動するのは手間でしょう」
「あのな、直江」
入れ替わりに台所へ行ってきた高耶が、焼きたてのバターロールを盛ったバスケットをテーブルの真ん中に置いて、何もわかっていない恋人にため息をついた。
「わかんねーやつだな。これがいいんだよ。自分たちの手で運んで並べて、二人で食べるから美味いんだろ?
これも食事のうち。文句言わない」
抱きしめたくなるほど可愛い台詞に、ソーサーの上に温めたカップを載せて湯気のたつ液体を注いでいた直江が笑う。
どこまでも甘い朝、かと思いきや、実は高耶が直江を動かしたがっているだけだったりする。
(人間、楽を覚えさせたらおしまいだからな。しっかり監督しないと)
などと心中の誓いも新たに、けれど穏やかな微笑みを浮かべて席についた彼のことを、幸せな男はわかっていなかった。
―――尤も、体を使って動くことの大切さと彼の年齢とを考え合わせた上での考えだったので、それもこれも愛のなせるわざと言ってしまえばそれまでだったのだが。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
「さて、食ったら着せ替えタイムだぜ」
目玉焼きを飲み込んでコーヒーで流し込んだ高耶がふと、そんなことを言った。
「は?」
思わず、つまもうとしていたニンジンを取り落としてしまった直江である。
幻聴か?
たしかに、『着せ替え』と聞こえたが。
「だからさぁ、お前の普段着をオレが見立ててやるって言ってんだよ。たまにはさ。
―――いいだろ?」
なかば上目遣いに願われると、断ることなど夢の彼方よりも遠い。
「……はぁ。お願いします」
そのまま肯いてしまった直江に、
「じゃ、決まり。何着せようかな〜♪」
非常に楽しそうに笑って腕まくりをせんばかりの高耶だった。
何を企んで……いや、計画しているのだろう。
これは、おもちゃにされること間違いなしだ。
「はぁ……」
ため息が出る。
(一体どういうことになるのだろう……)
愛する恋人の選んでくれるものなら何でも、という気ではいても、やはり不安を隠せない直江だった。
020502
前編 終了。
後編(5/3Upの予定)ではインタビューと魁の偏見によります『直江さんの普段着』結果が明らかに。
……なるはず。(オイ)
|
5555を踏んでくださったわかな様へささげます。

|
*
* |
*
* |
*
* |
*
* |
*
* |
*
* |