ドゥッ、ドッ、ドッ、ドゥン……
サイレンサーを解除した銃が立て続けに火を噴き、連続的に轟音を発した。
聞き慣れた者の耳にならば複数の銃声が聞こえるだろうが、耳を養っていない人間には、ほとんど一つの音にしか聞こえぬことであろう。それほどの速度でありながら、立て続けに撃ち出された弾は横並びに並んだ的の中心を確実に撃ち抜いていた。
恐ろしい早業である。白煙を吐いている銃筒をゆっくりと下へ下ろした凄腕の狙撃手の顔は、しかし、浮かないものだった。表情だけではない。普段の彼の仕事ぶりを知る者にとっては大変意外なことに、彼は深いため息すら吐いたのである。
どこか悄然としたため息の余韻が消えやらぬうちに、彼は手にした銃を無造作にホルスターへ戻し、練習場から踵を返そうとした。
その背中に、たった今まで何者の気配もなかった扉のあたりから、声がかけられた。
「腕はなまらねぇな。結構なこった」
「……ナガヒデ」
先客以上の長身を気配もなくするりと運んできたのは、青年の同僚であり、親友と呼んでもいい間柄の男だった。後頭部にぴょこんと跳ねている相変わらずの短い尻尾がトレードマークである。尤も、以前は金色に近かったその髪は、最近では少し落ち着いた色合いにトーンダウンしていたが。
こちらも肩に銃を吊して登場した彼は、入れ替わりに退場しようとしていた青年の肩を軽く叩いて笑った。
「ナガヒデじゃねぇ。今は千秋でいいんだよ。仕事中ってわけじゃなく、気晴らしに撃ちに来ただけだからな」
「そうか」
青年も肩の力を抜いて、長い付き合いの友人に対する表情に変化した。
だが、肩から吊した銃に視線をやったその顔はすぐに暗くなる。
「……無駄なことをしてるよな、オレも」
ぽつりと呟かれた言葉に、友人は手を伸ばした。
「無駄なわけねぇだろ。まるっきり使えねぇのと、時によって使えねぇのとでは、わけが違う。腕をなまらせないようにしてるのは感心だ」
黒い髪に手を突っ込んで、わしゃわしゃとかき乱してやりながらの台詞は、この友人にしては珍しい、飾り気のない励ましである。
「肝腎なときに使えないんじゃ、全然役に立たねえよ」
憎まれ口ばかり叩くけれど、本当は優しい人間だと知っている青年は、相手の気遣いに感謝しつつも、やはりその表情は暗いままだ。
「その分実戦は刀で補うだろ。それに、技術は持っていて損することはねぇからな」
「使い道がないならゼロと同じだ」
青年はとことん沈んでいる。心優しい友人は、それならば、とお道化に徹することにした。
「使い道?あるじゃねーか。たとえばほら、これから晩飯賭けて勝負ってのはどうだ?俺様は手加減しねぇぞ」
ホルスターをぽんと叩いてにやっと笑う男はきっと、自分のための練習などではなく、最初から友人に付き合いに来たのだ。
しかし、彼の友人はひそりと笑うと、暗い表情のまま踵を返した。
「やめとく。今は勝てる気がしねーよ」
むろんのこと、そこで黙って送り出す友人ではない。背中を向けた青年の肩をがっしりと掴むと、大げさな動作で肩をすくめて、笑った。
「あーあ、しゃーねぇな。今日は俺様が奢ってやるよ。うまい店があるから付き合え」
京國新聞社と書かれた看板の下をくぐると、外は金曜日の夕方そのものだった。しかも、今日は一年に一度のイベント日である。街はきらびやかなイルミネーションと、ケーキを売る声と、プレゼントを抱えた親子連れと、幸せな恋人たちでごった返していた。
「街はこんなに浮かれてるのに、俺らは野郎二人で晩飯か。さみしいねぇ」
友人と肩を並べて歩きながら、わざとらしくため息をついてみせる男に、傍らの友人は呆れた顔になる。
「だったら最初から誘うな。おまえは口説く相手には事欠かないだろ。そっちで楽しんでくればいいのに」
「まあそうは言ってもな。恋人からの連絡が来なくてしょんぼりしている景虎ちゃんを放って行くわけにゃいかねえだろ」
「オレは直江のことで塞いでるわけじゃねーよ。あいつにはあいつの事情がある。よくわかってるんだ」
「ふうん?」
首を振る友人を見て、疑わしげに鼻を鳴らした男だった。
なるほど友人が塞いでいるのは、実戦で銃を扱えない自分のトラウマを思ってのことだ。しかし、そんな過去を自らほじくり出すような所業に出たのは、まず間違いなく寂しさからだろう。人間誰しも、思考が暗い方向へと流れてゆくのは、心が弱っている証拠だ。
「わかってんのと、寂しくなるのとは、別物だと思うぜ」
「まあ、そうかもしれねーけど」
街のそこここに見かけるクリスマスツリーを遠い目で見ながら、青年はそれを透かしてずっと昔の光景へと記憶を巻き戻していた。
まさにこの季節だった。
両親と妹と四人で出かけた大きなデパート。ロビーの中央に据えられた巨大なツリーを見上げていた小さな自分。
近づいてきた怒声と激しい物音が自分たちにそれから何をもたらそうとしているのか、知るはずもなかった。
気がつけば、妹と共に捕まえられ、テレビドラマでしか見たことのない鉄砲がこちらを向いて……
撃たれるんだと思ったとき、視界を遮ったのは、見慣れた両親の背中だった。
両親は全身穴だらけになって死んだ。
そして妹は。
十年たった今も、まだ目を覚まさない。
「おや?噂をすれば何とやら」
暗い淵に沈もうとしていた思考を救ったのは、からかうような響きを帯びた友人の声だった。
「え……」
顔を上げたときには、うなりを上げて走ってきた鋼鉄の塊が、目の前に横付けされていた。
超をつけて呼んでよいほどの大型二輪に跨っているのは、見事に鍛えられた体のラインがよくわかる真っ黒なライダーズスーツに身を固めた、並外れた長身の男だ。その顔はフルフェイスのヘルメットに隠されて見えなかったが、この男の気配を読み間違えるような青年ではなかった。
「なお……」
男の名を呟き、メット越しの瞳を痛いほどに見つめる。
周囲に人の目がなければ、すぐさま両手を広げて抱きついていただろう。そうする代わりに彼は、ゆっくりと歩いて男の側へ寄った。
「ずいぶん遅くなってしまったけれど、あなたを浚ってもいい?」
男はシート下から取り出したヘルメットを差し出して、低く豊かな声で恋人を口説く。
「おまえとならどこへでも」
当然のことながら、男の恋人は一も二もなく頷くのだった。
「後ろで笑っている千秋は放っておいていいんですか?」
最愛の人を抱きしめたくてうずうずしている腕をどうにかこうにか押さえつけながら、男は恋人の肩越しにその友人へ視線をやった。相手は笑いながら肩をすくめ、お手上げのポーズを取ってみせる。
「あー、俺様なら気にすんな。やっぱりぴーぴー鳴いてるひよこの世話は親鳥に任すのが一番。バトンタッチだ」
「誰がひよこだ」
男の手から受け取ったヘルメットを被った青年が、くぐもった声で凄んだ。
「じゃあ仔猫でもいいけどよ」
青年の友人はようやく調子を取り戻したらしい友にやれやれと胸をなで下ろしつつ、口では軽いことを返す。
「ふん。それならお望みどおりひっかいてやる。猫の爪は痛いぞ」
「俺をひっかいてる暇があったら旦那と仲良くやれよ」
恋人の肩越しに何かを訴えてくる男と目が合って、肩をすくめた千秋だった。
「じゃあ今はそういうことにしておいてやるよ」
恋人の後ろに跨った青年はにっと笑い、今度こそ堂々と男の背に抱きつく。
「悪いな。今度飯を奢ってやる」
グリップを握り直してバルンと一吹きさせた男が、歩道で手を振る千秋に目で謝辞を述べた。
「飯?直江が行くならオレも行くぞ。千秋に独り占めなんかさせねーからな」
その台詞を聞きとがめたのは青年である。離すまじと、ぎゅうっと力をこめて男の胴を抱きしめたので、メットの下の男は、愛しさと苦笑の入り交じった表情になる。
「天下の往来で堂々といちゃついてんじゃねえ。さっさと行きやがれ」
いつも手の掛かる弟分の背を押してやる男は、今日もやはり青年の背を叩いたのだった。
05/01/01
|