豆腐屋本舗クリスマス編



奥さん、クリスマスにもおいしいお豆腐を食べましょう

(↑?)



「み、美弥っ!あー直江の服がっ」
高耶は慌てて立ち上がり、台所へ走って―――といっても三歩の距離だが―――台布巾を引っつかみ、いや、これではいくらなんでもひどいと思いなおして食器布巾に持ち替えて、ちゃぶ台へと戻ってきた。
「いえいえ大丈夫ですよ。お気になさらず」
 甲斐甲斐しく膝の辺りを拭いてくれる少年を見て、いいお嫁さんになりそうな手つきだ、とあらぬことを考えながら首を振る男だったが、
「いいえ、大丈夫じゃないです!すぐ洗いますから、どうぞその間にお風呂使ってください!ね、いいでしょお兄ちゃん?」
 こちらも甲斐甲斐しく台布巾でちゃぶ台と畳のしみを拭き取りながら、少年の強力な味方である妹が大きく首を振った。
「いえとんでもない!まだ美弥さんも使っていないのに私が先に使うわけにはいきませんよ。昨今は若い女の子は父親の後には風呂に入りたがらないそうですね。まして私は他人ですから」
 妹の申し出に首を振る男の言葉は成る程その通りであったが、相手は世に言う普通の『若い女の子』ではない。
「いいえ、とんでもないですよ。うち、お風呂するのはかなり贅沢だから、お湯ためた日は何が何でも入るんです。熱出してても入るんですよ〜。だから、全然気にしないでください!お客様用のバスタオルも幸い何本かあったと思いますし」
 赤い手ぬぐいを提げて銭湯へ通わないまでも、風呂に湯をためることが贅沢だと言う健気な兄妹の片割れは、相手が同情の眼差しになるよりも早く朗らかに笑い声を立てたのだった。



「高耶さんも美弥さんもお料理が上手なんですねぇ」
 兄妹の手作りの夕食でもてなされながら、男は味噌汁の椀を片手にしみじみと呟いた。
 大根と豆腐の味噌汁は煮干で出汁をとり、とった残りの煮干は照り煮として小皿に並ぶ。メイン料理は筑前煮だが、動物性蛋白質は入っておらず、専らニンジンや大根などの根菜類を乱切りにして煮たもので、さらに素晴らしいことにそれらの野菜の皮はきんぴらにされてこれまた小皿に並んでいた。
 裕福な家に育った男にとっては想像もつかないようなリサイクル食だったが、その計算されつくされた料理自体が兄妹の苦労と工夫を表しているように思えて、彼は心底感心しているのだった。

「まあ、こういう家だからな。自分たちで作らないと飢え死にする。それに、バイト先で仕込まれてるし」
「慣れてるんです」
 たとえ動物性蛋白質が含まれていなくとも、きちんと一汁三菜揃っている時点で兄妹にとってはご馳走である。二人は至極幸せそうにつつましい夕食を味わっていた。
 そのうえ今夜は素晴らしいことに、直江持参の絹こし豆腐が味噌汁の中に浮かんで―――むしろ贅沢に、沈んで―――いるのである。
 しかもそのうえさらに、クリスマスケーキというスペシャルなデザートまで用意されているとあっては、二人の顔も緩むというものだ。
「今夜は本当にご馳走だよね、お兄ちゃん♪」
「ああ。直江のおみやげ万歳だな。ほんとにありがとな」

 顔を見合わせてニコニコと嬉しそうな兄妹の姿を、豆腐屋の修行以外では苦労というものを知らなかった男は、少年兄からの借り物であるつんつるてんのパジャマの袖で目じりを拭いたい気分で眺めるのだった。

「二人とも、本当にいいお嫁さんになれますね……」
「え〜?嫁って、オレは嫁さんにはなれねーよ?」
 味噌汁の中に涙の粒を落としかねない勢いでしみじみ呟いた男に、少年兄が首を傾げる。その拍子にあの素晴らしい絹こし豆腐が箸から滑り落ちてぱしゃんと跳ね、彼は慌ててその白い直方体を掬い上げた。まるで、見失ったら二度と食べられないと思っているかのように、必死に。
「まあそれは言葉の綾ですが、今時は夫が主夫をしたっておかしくはありませんし」
 これは東川のお豆腐に余程ラブなのか、それとも倹約精神なのか……と内心で葛藤しながらそのさまを見つめ、男が言葉を続けた。
「うん、確かにお兄ちゃんはいいお嫁さんになれるよね」
 少年の反論よりも素早く妹が合いの手を入れる。非常にあからさまな意図をもって兄とその初恋のお相手を横目に見た彼女だったが、
「オレは主夫向きじゃねーよ。いっそこのままずっと美弥と二人で暮らすのもいいなぁって思う」
なぜかこういう場面では鈍い兄は、目に入れても痛くない可愛い妹にそんな台詞を返した。
「え〜!やだよ〜。美弥は素敵なお嫁さんになるのが夢なんだから」
 しかし妹はいともあっさりと兄の台詞を一刀両断する。
「ええ !? 」
「だからね、さっさとお兄ちゃんが片付いてくれないと美弥困るの。早くいい人見つけてよね」
 ショックを隠せず再び豆腐を味噌汁の中に遭難させてしまった兄だが、妹は笑顔で鋭く釘を刺した。
「美弥ぁ……」
「そういうわけなので、直江さん、いつでもOKですよ。私は全然構いませんからどうぞ♪喜んで許可します」
 がーん、という文字を背中に背負った兄を無視する形で、妹は狭いちゃぶ台に顔突き合わせている客人に意味ありげな笑顔を向ける。
「それはありがたいですね。こんなに早く美弥さんのお許しをいただけるとは」
 その笑顔に応える男も極上の笑みを浮かべ、十五ばかり年の離れた男女はじいっと見つめあって笑い合った。
 その様子を見て違う方向に解釈してしまったのは純情少年兄である。
「お前ら何の話をしてる?……ま、まさか、美弥、お前が嫁さんになりたい相手って……!」

 思わず絶句して、白い恋人の捜索も忘れて味噌汁の椀をちゃぶ台に置いてしまった彼だったが、

「ええ?ちがうよぉ!いくらなんでも直江さんが美弥なんか相手にしてくれるわけないでしょ」
「そうですよ。俺は中学生の女の子を口説くほど節操無しではないつもりです」

 どう見ても普通ではない笑顔で見詰め合っていた二人の年の差男女は、揃って否定する。

「なら何なんだよ?」
 兄は釈然としない顔で首を傾げたが、
「美弥はお兄ちゃんに幸せになってほしいの。そういう意味」
「妹さんからの愛ということですよ」

 兄の呟きに対して返った二人の返事はそんな台詞で。

「……余計わかんねーよ……」
 兄はすっかり沈んでしまった白い恋人を箸の先で突付きながら、呟いたのだった。



「……なぁ、まだ起きてる?」
 二連の円形蛍光灯を消灯し、豆球は只今補給されておりません状態のために点けられず、結果として、リビング兼ダイニング兼客間兼兄の寝室であるところの六畳間は、カーテン越しに降り注ぐ細い月明かりの他には何の灯りも無い状態になっている。
 ただでさえ狭い六畳間には、ぎりぎりぎゅうぎゅうに二枚の布団が敷かれ、ちゃぶ台は台所床に押しやられ、どうにかこうにか掛け布団の中に手足を納めている少年と、どう頑張っても足か肩がはみ出てしまう男とは、揃って天井を見上げていた。

「起きていますよ。どうかしましたか?……あ、やっぱり狭いですか?俺がこんな図体だからあなたにご迷惑をお掛けすることになってしまって本当にすみません」
 少年に声を掛けられて、男はぱちりと瞬きをし、ふと思いついたようにそんなことを言った。
「や、そうじゃなくてさ。……直江って、クリスマスにサンタさんに願い事したことある?」
 少年は居候の身分に慣れきってしまって妙に腰の低い男へ、違うといってから、こんなことを問いかけた。
「サンタさんですか?まあ、小さいころはそんなこともありましたね。ただし、実家が寺なので大声では口にできませんでしたが」
「へ〜そうなんだ?お寺で作務衣で豆腐屋か……なんかわかる気がする」
「その三つの共通点といえば、日本の心ということだけだと思いますが」
「寺といえば精進料理だろ?豆腐はつきものじゃん」
「ああ、なるほど」
「だろ?」
 二人は当初とは違う話に花を咲かせたが、それを軌道修正したのは男である。
「ところで、サンタさんがどうかしましたか?何かお願いごとでもあるの?」
 可愛い話題を持ち出すものだなぁと目を細めているのを、暗い室内では少年には窺うことができない。
「ん……まあな」
 少年は少年で、ちらりと横目に男を見つめたが、こちらもやはり室内が暗いために男にはその様子が見えていない。

「そうですか。私がサンタさんだったら、きっとあなたの願いを叶えてあげるのに」
 男のそんな台詞に、少年は目を見開いた。

「えっ !? 」
 急に声を上げて絶句してしまった少年を不思議に思いながら男は顔だけを隣へ向けたが、やはり暗い室内では、少年が真っ赤になっていることを見て取ることはできなかった。

 つつましい生活を送っている兄妹のことだから、きっと願い事というのも、切れた豆球を夜中のうちにサンタさんが取り替えてくれないかなぁとか、がたつく扉がいつの間にか修理されていたりしないかなぁとか、そういう聞くも涙語るも涙の願い事なのだろう、と男は想像した。

「ねえ、今年は私があなたのサンタになりましょうか。私にできることなら何でもしてあげます。力仕事とか豆腐料理とか大掃除の手伝いとか読経とか、けっこうそれなりにスキルがありますよ」
 つんつるてんのパジャマの袖口で目元を拭い、勝手に解釈した男はそんな風に申し出た。『スキル』というほどのことといえば、読経くらいであろうと思うのだが。

「え、ほんとに?」
 少年は頬を染めたまま男へと顔を向けた。
「ええ勿論です。何かできることがありますか?明日の朝一番でさせてもらいますよ」
 男は大きく頷き、こちらも少年を見つめる。

 顔は向かい合い、しかし室内の暗さのために互いの表情を見て取ることはできないという状態で、二人は見つめ合う。

「あ、あのな、それじゃあ……今、いい?」
 やがて、少年兄はこれ以上無いというほど真っ赤になった顔で、おずおずと切り出した。
「今?何ですか?」
 この状態で何をしてほしいのだろうかと不思議そうに首を傾げる男だったが、相手の次の台詞には手放しで破顔するのだった。

「その……なんだか眠れないから……手、握っててくれる?」

 たまらなく可愛らしいそんなお願いに、男は快く応じて手を伸ばし、布団の中で手探りに探し当てた手をそうっと握ってやった。

「直江の手……好きだな」
 最初は遠慮がちに、そして段々思うままに、少年は男の手を握り返す。

 自分よりも一回り小さい、細いけれど家事を知ったその手に、男はくちづけたいほどの愛しさに駆られたが、今はまだ暴走するまいと心を静め、ただ甘い声でこう答えてやるのだった。

「眠るまでと言わず、起きるまで握っていてあげますよ―――」



 翌朝、誰よりも早く目覚めた妹は、リビング兼ダイニング兼客間兼兄の寝室であるところの六畳間に律儀に40cmほどの隙間を開けて並んでいる二人の姿を見てため息をついたが、よく見ると二人のちょうど真ん中あたりに二人の腕が伸ばされ、一つ所で重なっているのに気づき、おお、と頷いたのだった―――



03/12/27
快挙!手を握るところまで漕ぎ付けました!(爆)
……というわけで、クリスマス編はこんな感じに。
なんでこの二人はこんなにも清らかなのだろう、と考えて、高耶さんが可愛い系だからかしらと思うこのごろ。
僅かながらも前進してゆく二人に、どうぞ愛の手を!

後編にもお付き合い下さってありがとうございました。ご感想などbbsにでもいただけたら嬉しいですvv


何とも突然ながら、クリスマス企画。

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