豆腐屋本舗 白い恋人たち編



奥さん、クリスマスにもおいしいお豆腐を食べましょう

(↑?)



 美しい朝もや(あくまで恋する二人ヴィジョンだ。実際には薄暗い中に冬の寒々した白い朝霧が立ち込めている)の中、神聖なる白い作務衣に身を包んだ長身の超絶イイ男と、頬を歓喜と寒気に赤く染めた苦学生とは、何となく30センチメートルほどの距離を律儀に空けた状態を保ちながら、並んで土手を歩いていた。

 二人の間に言葉は無い。お互い、肩を並べて歩く状況を幸せに思い、それだけで充分満足だという気持ちと、声を掛けたいけれども掛けられないという逡巡とをない交ぜにした複雑な心情を抱いて歩いている。

 殊更にゆっくりと歩いていった帰路も、もちろん物理法則に支配された世界にいる以上、必ず終わりがやってくる。

「……あのさ」
 とうとう団地の前まで来たとき、ふと少年が立ち止まった。
「何でしょう?」
 別れがたい思いは同じだった男もその場に立ち止まり、傍らに立つ人へ立ち位置を斜めにして向き直る。
 少年はしばらく俯き加減に口ごもっていたが、沈黙を訝しむように、高耶さん?と名前を呼ばれると、思い切ったように顔を上げた。
「その、今日……クリスマスだろ。だから、これ」
 彼はジャケットのポケットから取り出した、手のひらに少し余る程度の大きさの紙包みを、えいやっと勢いをつけて男に手渡した。

 男は自分の手の中に確かな存在感を及ぼしている包みと、まだその包みと一緒に自分の手の中にある少年の手を、呆けたように見つめていたが、少年がその無反応さに泣きそうになったとき、ようやく瞬きをして現実世界へと戻ってきた。

「……私にくれるんですか?」
 その完璧な形をした唇が紡いだ言葉は、とても信じられないというように震えている。
「あ、ああ。役に立つかわかんねーけど」
 少年は、相手の手の中に自分の手を滑り込ませているという大胆さに今更ながら気づき、慌てて手を引っ込めながら、ガクガク頷いた。
「ありがとうございます!とても嬉しいですよ。今、開けてもいいですか?」
 男は少年の手が離れた喪失感以上に、手の中に残っている愛しい人からの贈り物に対する感動が大きいようである。
「お、おう」
 少年は、どうやら贈り物を嬉しいと思ってもらえているらしいと気づき、照れ隠しのようにそっぽを向いた。


 包みの中から出てきたのは、羊のぬいぐるみのように見える物だった。しかし、ただのぬいぐるみではない。

「……ああ、湯たんぽなんですね」
 ビニールの包装部分に書かれた用途を読んで、男がなるほどと頷いた。グーグーグーな居眠り羊は、可愛いだけではないのだ。昨今はぬいぐるみもダテじゃない。
 大きな手のひらには少し小さめながら、すっぽりと収まりのよい羊は、男の目にはまるで手のひらで愛しい人が丸くなって眠っているように見えるのだった。
「豆腐屋さんてさ、手がすごく冷たくなるだろ。だから、こんなのだったらいいかなって」
 セレクトした理由を面と向かって説明するのが恥ずかしいのか、目を合わせようとせず、足下に視線を落としながら頷く少年である。
「本当にありがとうございます。どんなお礼をしたらいいのか……」
 色々な意味で感動のあまり声を震わせながら、細い体を力いっぱい抱きしめてしまいたい衝動に駆られる男だった。
「お礼なんて……。今だって、直江のお陰でオレ寒くねーし」
 日本人離れした長身を盾にして冷たい風から少年の体を守っている男を、少年はほれぼれと見上げる。
「師匠の言うように、風よけにしか役に立たないんですけどね。……でも」
 男は子犬のように濡れた真っ黒な瞳で見上げてくる想い人に、ゆっくりとかがみ込んだ。

「いつか、私もあなたの湯たんぽになれたらいいのに」

 いつにない至近距離で、熱い眼差しを向けられ、少年は戸惑った。その頬が一気に赤くなるのを、とても愛おしい想いで男は見つめる。

「ゆ、ゆ……ゆた」
「湯たんぽです。あなたが私にくれたように、私もあなたにとっての湯たんぽになれればいいのに」

 わたわたしている少年に心からの笑顔を向けて、男は極めつけに甘い声音で囁く。―――そう、かつて彼が情熱の赴くままに奔放に恋愛を渡り歩いていたころ、これをくらって誰一人として堕ちない女はいなかったという、伝説の囁きマジックである。
 まして、今度の相手はほぼ最初の出会いの瞬間から両思い。
 これでクラリとこない筈が無い。

「直江……」

 微笑ましい初恋に燃える少年はすっかり骨を砕かれてふらりと相手の胸に倒れこみ、厳しい修行で鍛えられた強い腕にしっかりと支えられた。

 さて、とうとう初めての抱擁を交わした二人。そのまま甘いくちづけに雪崩れ込むかと思いきや―――

「……高耶さん?」

 くたりとした体をしっかりと胸に抱きこみ、片手を顎にあてて顔を上向かせようと試みた男は、相手の顔を覗きこんで、ふっと苦笑した。

「やっぱり、寝ないで来てくれたんですね。可愛い人だ」

 少年は、強くて暖かい腕の中で、とても気持ち良さそうに眠っている。その頬をそうっと撫でて、男は目元の微笑みを深くした。


 早く目が覚めてしまったと言い訳していたけれども、本当はこの時間まで寝ないでいたのだろう。クリスマスだからプレゼントを渡したくて、わざわざ早朝から豆腐屋に来てくれたのだ。


「いつか本当に、あなたの湯たんぽになってあげますからね。今はこれだけで―――許して」

 男は少年の妹の待つ家へ彼を送り届けるためにその体を抱き上げ、顔を寄せると、微かな寝息を立てている唇のすぐ横へ、触れるだけのくちづけを落とした。


 そして、恋人たちの姿は白い朝もやの向こうへと消えてゆく―――。





(男に抱きかかえられて帰宅した兄を迎えた妹が、とうとうやったねお兄ちゃん!と心の中でガッツポーズを決めていたことを、あまつさえ、赤飯を炊くための小豆を買う費用をどうやってギリギリの生活費から捻出するかを猛スピードで計算し始めていたなどということを、バラ色の夢の中にいた兄は勿論知る由もなかった。買ってしまった小豆を前に、新年早々食費問題に頭を悩ませることになるのは、もう少し後の話である。)



 終


04/12/30
ネット接続がものすごく不調で、ようやくUpできました……。
かなりの間が空いてしまって申し訳ありませんでした!

さて、ようやく終わりました豆腐屋本舗クリスマス。何だか長かったです。
進展……したんでしょうか。
少なくとも美弥ちゃんは大いに期待していたらしいですが(笑)

今回直江さんがいまいち壊れていなかった気がしてちょっと心残りでした。


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何故だか今年も、クリスマス企画に登場。

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