ハピネス - [ happiness ]
「ねえ」
「ん?」
広いソファの一箇所にわざわざくっついて座っている二人のうち、膝の間に年下の恋人を置いてその背中からすっぽりと相手を抱きしめている男が、年上の恋人に背中を預けてご満悦の青年に、何かを話し出そうとしているようだ。
一応テレビは点いているが、二人は特にその番組に見入っていたわけではなく、青年はすぐに背後を振り仰いだ。
すると、耳のすぐ横にいた男の顔とちょうど正面から対峙することになり、二人はそのまま自然に唇を触れ合わせた。
深いものに流れてはゆかず、ただ軽くついばみ合っただけで、二人は満足そうに顔を離した。
「で、なんでオレのこと呼んだんだ?」
年上の恋人のがっしりした首筋にすりすりとこめかみの辺りをこすりつけながら、全くご機嫌の猫のように青年が問うと、
「キスしたいなと思ったからですよ」
この世に一匹しかいない、彼だけの黒猫の甘えた仕草にくすぐったそうに笑いながら、男は珍しくストレートな台詞で相手に応えた。
「へえ、オレもそんな感じだったんだ。タイミングいいな」
青年は深く澄んだ漆黒の瞳をぱちくりとさせてから、にやっと嬉しげな表情になる。そのつやつやした黒い髪に指先をうずめるようにして撫でながら、男は目元を緩ませた。
「そうですね。段々、そんなタイミングが増えていくんじゃないですか」
一緒に暮らしているから―――
「よく、夫婦って似てくるって言うよな」
毛づくろいをされる仔猫のように満足げに目を閉じたまま、青年はそんな台詞を紡いだ。
「共に眠り、共に目覚め、同じものを食べて、一緒に話しをして……そんな風にずっと暮らしていくから、きっと似てくるんです」
男の鳶色の瞳は、ようやく共に暮らし始めた年下の恋人を本当にいとおしげに見つめている。
すると、青年の瞳がぱっと開かれた。
初めて見たときからずっと変わらない、まっすぐに奥底まで見据えてくる漆黒の瞳が、男を射抜いている。
「―――そして、同じ時にキスしたいって思うようになる」
「ええ、さっきみたいに」
「こんな昼間でも?」
「ええ、外がどんなに明るくても」
「窓の向こうで子どもの遊ぶ声がしていても?」
「ええ、もし誰かが呼び鈴を鳴らしても、聞こえない」
―――くるくるとよく表情の変わる、いくら見ても見飽きない宝石のような瞳が、じっと見つめてくる。
「……なあ、オレが考えてること、わかるか?」
「ええ、きっと私と同じことを」
―――いつも穏やかで、とろけそうに優しい色をして自分を見つめてくる瞳が、その奥が金色にキラキラ光っている。
かくて大きな黒猫は飼い主の膝の上でくるりと向きを変え、伸び上がった。
*
窓の外に冴え冴えと星が輝く頃、温かな寝床で、男は傍らにいる筈の人を探し手を伸ばした。
「……ん。……何だよ」
寝ぼけ眼を開いた青年は、
「何甘えてんだ……なおえ」
心臓に耳をくっつけて背中を抱いてくる男に気づくと、ぽんぽんとあやすようにする。
男はまだ眠りの中であるらしい。
無意識に青年を探して縋り付いてきた彼は、恋人が腕の中にいることを感じ取ると安心したように笑んだ。
「なおえ……」
青年はそんな恋人の仕草に胸を突かれ、柔らかな茶色の髪に指先をもぐりこませた。
「長く……待たせてごめんな」
直江のことが好きで、好きすぎて、一緒に暮らすのが怖かった。
二十四時間傍にいて、自分のこと全部知られて、もしも何か、嫌われるようなことがあったらと。
そんなことを思って、踏み切れずにいた。
でも、
不安になる必要なんか、全然なかったんだ。
「あいしてる、直江」
一緒に暮らしていると、
何をしていても幸せで、
ただ黙って隣に座っているだけで幸せで、
こうやって夜中に目が覚めると隣に直江がいて、
ちょっとでも隙間が空くとオレを探して抱きしめてくれて、
そうするとすごく嬉しそうに笑う。
そんな姿を見るとまた幸せになる。
「直江、あいしてる」
まずは一週間でもいいから一緒に暮らそう。
って、言ってくれてありがとう。
この一週間で本当に良くわかった。
これからずっと、ずっと先まで、傍にいてもいいんだと。
オレのいる場所はここにある。
直江とオレの―――