ハピネス - [ happiness ]
今度の週末はデパートに行きましょうね
ん?何でだ?用事あったっけ?
そろそろクリスマス用品が出ているでしょう?大きなツリーを買ってメイちゃんと飾り付けをしたらどうかと思って。
そりゃあメイは喜ぶと思うけど、ああいうのって高いだろ……
そんなこと。毎年楽しめると思えば決して贅沢な買い物ではありませんよ。ちゃあんと仕事して稼いできますから、心配しないで。
ん、ありがとな。楽しみだな。
ええ。買いに行くのだって楽しいし、飾り付けも楽しいし、眺めても楽しいんだから最高でしょう?
ああ。毎年の恒例行事がまた一つできたな。
一つ一つ増やしていきましょうね。お正月は餅つきと蕎麦、3月にはお雛様。
うーん、忙しいな。
ええ、ぼーっとはしてられませんよ。私はそういう楽しみのためにしっかり働きますから。
おうよ。オレは働き者の旦那様のために栄養たっぷりの食事を作ってやらないとな。
よろしくお願いしますね。
あたたかなベッドに二人潜り込んで、ぬくぬくと半ば微睡みながらそんな遣り取りを交わしたのは、この月曜日のこと。
今日は楽しみにしていた土曜日で、三人家族はお出かけスタイルに身を包んで車に乗り込んだ。
運転席に身を乗り出し、パパのハンドルさばきを興味しんしんで見つめる娘を、懸命に抱きとめるのは父親の役目。
どうにかこうにかチャイルドシートに座らせてベルトを締め、
「出しますよ」
との声に呼応するように娘が大声を張り上げた。
「しゅっぱーつ、しんこぉー!」
さて、目的地である百貨店は年末の稼ぎ時とあって、どこもかしこも華やかに飾りつけられていた。それだけでも十分に賑やかだが、人の多さといったら、それらの飾りつけが殆ど見えないほどだった。
そんな大勢の客たちの中で、一際目立つ三人家族がいる。
『パパ』は柔らかなベージュのニットと焦げ茶色のジャケット、コーデュロイのパンツに身を包み、大きなママバッグを提げている。『お父さん』はダークグレーのコットンライダースとブラックジーンズという出で立ちで、愛娘を抱っこして歩く。
その腕の中できょときょとと周りを見回している元気な娘は、フリルが可愛らしいニットのジャンパースカートにピンク色のカーディガンというスタイルである。
ちなみにその小さな足を包んでいるのはお気に入りの赤いエナメル靴で、本人は是非とも自分の足で歩きたいようなのだが、デパートの混雑ぶりを警戒する両親はそれを許してくれそうにない。まして、彼女には前科がある。半年前にこのデパートでうっかり父親が手を離している隙に迷子になり、両親の寿命を三年は縮めてしまったのだ。
尤も、それが縁となって彼女は現在の保育所に通っているので、人生とは不思議な巡り合わせで成り立っているものだと、両親は言い合っているのだが。
くりくりお目目にふっくらほっぺの娘と、明らかにその血縁と見える青年、そして、外見的には二人と殆ど共通点が見当たらない日本人離れした容貌の持ち主である年嵩の男。
一見不思議な取り合わせである三人に、周囲の客たちはしばし、目を留める。
しかし、それは彼らが男同士の両親だからという理由からではない。百貨店にひしめく家族連れの中には、男性二人の親に両手を繋いでもらってはしゃいでいる子どもや、女性二人にそれぞれ抱っこされている双子などもたくさんいる。
この三人が目立つのは、服装一つ取ってみてもわかるようにそれぞれ異なる個性を持ちながらも、とても幸福そうな空気に包まれて一体感をかもし出しているからなのだろう。
クリスマスツリーとその飾りを置いているコーナーで、長身の男の胸ほどまでもある大きなツリー、きらきらしたモール飾りや、大きな球状のオーナメントを買い込み、自宅へ配送する手続きを取った彼らは、昼時で非常に混み合っているダイニングストリートへ足を運び、男が手回し良く予約を取っておいたフレンチチャイニーズレストランで一息ついた。
「ふー、けっこう疲れたなあ」
子ども用の椅子に娘を座らせ、ベルトをしっかりと締めてやると、青年は自分も隣の椅子に掛けて、ぐりぐりと首を回した。
「想像以上に混んでいましたからね。ずっとメイちゃんを抱っこしていたし。お疲れ様でした」
向かいに掛けた男が、こちらもずっと荷物持ちで疲れている筈なのに、全くそんな気配を見せない笑顔で伴侶を労う。
「直江こそ、お疲れ様。カバン重いだろ?色々入ってるからな」
幼い子どものために必要な品物が詰まった所謂ママバッグは、哺乳瓶や離乳食が必要なくなった分、少しは軽くなっているが、それでもおむつの替えやら着替えやらで、ちょっとした重量である。そこから取り出された前掛けを娘の首に回して、背中のホックを止めつけてやりながら、青年は、平日には毎日忙しく働き、週末でさえこうして家族サービスを欠かさない伴侶に、半ば感心したような眼差しを向けた。
「普段はあなたがこのカバンとメイちゃんを抱っこしているんでしょう?その方がずっと大変ですよ。そのうえ私のために三食しっかりこしらえてくれて、お陰で私は元気に仕事ができます。いつも本当にありがとう」
男は男で、家事と子育てを見事に両立している青年に心から賞賛をおぼえているらしい。ひょいと手を伸ばして青年の頭を撫で、
「こんなとこで何すんだ!」
と照れさせた。
肩の凝らないラフなスタイルながら、コース形式でサーブされたランチは値段以上の美味しさで、久しぶりの外食タイムを楽しいものにした。
マンゴープリンやタルトなど数種類から好きなだけ選べるデザートまで済ませ、締めくくりのコーヒーを啜っていると、不意に男がどこか少し離れたところへ手を振った。
知り合いでも見かけたのかと不思議に思った青年がその方向へ首を巡らせると、
「高耶!」
と、ざわつく店内でも良く通る明るい声が飛んできて、彼を飛び上がらせた。
「ねーさん !?」
ぶんぶんと手を振り回しながら足早に近づいてくる美女は、男の知り合いではなく彼自身の良く知る人物である。
女性の中では長身に分類される彼女はあっという間に青年たちのテーブルへやってきて、男がさっと引いてやった椅子ににっこりして腰を下ろした。
「はーい久しぶり!元気そうで何よりだわ」
明の向かいに掛けた彼女は手を伸ばしてそのぷくぷくした頬を突付き、きらきらした瞳を優しく緩ませている。
驚きに思考が止まってしまっている青年の代わりに、男が子どもを椅子から取り上げて母親に渡した。
「どうぞ、綾子さん」
「ありがとう。めい〜」
こんなに大きくなって……と、不思議そうに見上げてくる子どもを抱きしめる様子は、普段は離れているとはいえ、やはり生みの母である。子どもの方は無論、そんな経緯を理解しているわけではないので、その腕の中できょときょとと視線を彷徨わせている。
ひとしきり再会を噛み締めた母親がようやく父親に視線を戻したときには、青年はどうにか現実を受け入れた様子だった。
「ねーさん、日本に帰ってたのか」
「そうよ。といっても一時帰国だけどね。今回はあたしだけ」
慣れない女性の腕の中にうまく収まりをつけた子どもが、遊ぼうとテーブルに伸ばした小さな手をそっと取り、もっともっと小さかった紅葉のような手のひらを思い出しながら、母親は父親に笑いかけた。
「慎太郎さんはあっちなんだ。忙しいんだな。のんびりする暇なんてないんだろうな」
「ええほんとにね。生きるか死ぬか、それだけの戦いなのよ」
綾子は、この平和な国にいては想像もつかないであろう紛争地帯で、傷ついた人々の治療に一生を捧げている医者の『妻』の顔になった。かつて豊かに波打っていた髪を項のところでばっさりと切ったスタイルの変化も、日に焼けた肌も、おそらくはそんな環境によるものなのだろう。
「何だか申し訳ないようです。こうしてのん気に日々を過ごしている私たちは」
伴侶の元妻に対しても、男は自然体を崩さない。相手の境遇を思いやる言葉の内容から少し翳りを帯びた表情を、相手は太陽のような笑顔で吹き飛ばした。
「あら、ごめんなさい。直江さんや高耶には本当に感謝してるの。あなたが暗い顔になる必要なんて全く無いんだから。ごめんなさいね」
この子をいつも笑顔で見守ってくれているのが良くわかったから、本当に感謝しているの、と彼女は二人に頭を下げた。
「いや、オレ一人じゃ全然だめだったと思うけど、直江がいるお蔭で何とかな。オレにできる精一杯のことをするから、ねーさんは何も心配すんなよ。慎太郎さんと一緒に、たくさんの人を助けてやってくれよ」
若い父親は伴侶をちらりと見てから、元の『妻』に真剣な眼差しで頷いて見せた。
今回この場所で出会ったのは偶然ではなく、男が予め彼女に連絡をつけていたのだという。
「二ヶ月くらい前に電話したとき、あんたお風呂に入ってたとかで直江さんが出たのよ。で、もしクリスマスの頃に一時帰国できそうなら、明に会ってほしいって言ってくれたの。せっかくだからあんたのこと、驚かせてやろうって、内緒でね」
「なんだよ、オレだけ仲間外れかよ」
むくれる姿は、相手が長い付き合いの『ねーさん』だからなのか、歳相応の幼さを見せている。そんな青年にうふふとウィンクして、綾子は足元から紙袋に入った大きな包みを取り出した。
「はい、ちょっと早いけどクリスマスプレゼント。お二人でどうぞ〜」
意味ありげな笑みに少し緊張をおぼえながら、青年は礼を言った。
「ここで開けていいのか?」
「そうね、問題ないと思うけど」
気のせいだったかと緊張を緩めた青年は、包装紙の中から現れた赤い衣装に一瞬戸惑い、次の瞬間には何かを理解した様子でうっと息を詰まらせた。
赤いとんがり帽に、赤い上下。縁取りとボタンは白い毛皮状。
そして、それと対になる動物の着ぐるみ。
「サンタクロースとトナカイ、ですね」
覗き込んだ男がこちらも意味ありげに微笑む。
「ね〜。二人で着るのよ〜」
うふ、と鼻歌交じりに言った綾子に、青年はその意図を確信した。
「ねーさん!何させようってんだよ!」
紅潮して食って掛かる様子は、綾子の思惑通り。
にや、と『姉』の顔で『弟』の額を小突き、彼女は声をたてて笑った。
「そりゃあ明のためよ〜。サンタさんとトナカイさんがおうちに来たら喜ぶでしょ?
で?あんた、一体なぁにを想像したの?」
青年は鳩が豆鉄砲を食らったような表情になり、次いでトマトの如く赤くなった。
―――『二人で』、なんて言われたからてっきり……
見事に彼女にはめられた青年は、赤くなったり白くなったり大変である。
数分後、苦いコーヒーを一気飲みしてどうにかこうにか立ち直った彼は、しかし最後のトドメに今度こそ撃沈させられることになるのだった。
「言っとくけど、直江さんがトナカイよ。昼間は明を乗せてやって、後はあんたが乗るのよ♪」
*
過酷な現実に生きていながらも筋金入りの根明であることを証明するかのように、綾子はその一日、明の洋服やら玩具やらを山のように選び、同行の男性二人をへとへとにさせ、せっかくの贈り物も使えない状態に追い込みながら、自らは来たときと何ら変わらぬ元気溌剌の態で帰って行った。
ぬくぬくと目覚めた翌朝、ようやく二人は昨日のことを回想する。
「まともに会うのは二度目ですが、相変わらず強烈ですね」
「な、言っただろ?明のかーさんはどんなときも前向きだったって」
「メイちゃんも彼女のようになるんでしょうか?」
「いや、案外すごい内気だったりしてな。反動で」
「まあ、どっちでも私たちにとっては可愛い娘ですからね」
「何だよ、可愛いのは娘だけかよ」
「おや、そんなかわいいことを言うお口は、こうですよ」
二人にとって幸いなことに、昨日一日めいっぱい動き回った愛娘はまだまだぐっすり夢の中で、彼らは日曜の朝をゆったりと過ごすことができたのだった。