How Do You Want Me To Love You?
『じゃあ決まりだ。一日オレの言うこと何でも聞くんだ』
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それは丘の上の魔法使いの幼い恋人の誕生日のこと。
―――今日はあなたの誕生日ですね。何か欲しいものや、して欲しいことはありますか
クリスマスの魔女との一件以来、魔法使いは元妖精の恋人に以前以上に甘くなっていた。
研究棟に篭もるのが寂しいと訴えれば、それなら一緒に実験をしましょうかと申し出て、これまで他人を入れたことのなかった聖域に手を引いて入る。初めて見る色々な道具や薬草に目を輝かせて見入る彼に端から説明をし始め、とうとうそれだけで一日を費やしてしまうこともあった。
これでは仕事になりませんねぇと昼食の給仕をしながら呟くハリの口を主の権限で塞ぎ、嬉しそうに手を出してくる恋人をひたすら甘やかす。
手伝うというよりは進みを遅める手ではあるのだが、四六時中傍にいれば淋しくさせることもないし、自分も嬉しい。
そのうちに、恋人の合いの手が必要不可欠のものになったことに気づいた。元が木の妖精であった高耶は、流石というべきか植物に関する経験的な知識を豊富に持っており、それを発揮できる場を与えられたことで、その貴重な無形財産が日の目を見ることになったのである。
そんなわけで、元妖精は現在、薬のエキスパートである丘の上の魔法使いの恋人兼優秀な助手になっていた。
一緒にいる時間が増えたことで、魔法使いの過剰な愛情にもいっそう磨きがかかり、ときどき不機嫌でぶっきらぼうで言葉が足りないけれど本当はとても寂しがりやで甘え好きな恋人が、目にいれても痛くないほど愛しいと思うこの頃である。
その恋人の誕生日―――正確に言うと母木の開花の日―――となれば、どんな望みでも叶えたいと願う魔法使いなのだった。
一仕事終えて居住区へと戻ってきた二人を、金色の虎が器用に額でワゴンを押しながら出迎えた。
その上に載せられた錫のカップの中身はよく冷えたチャイである。相変わらず素晴らしい料理人の彼は、チャイ一杯にしても隅々まで手を抜かない。市へ出かけた際も週に一度は新鮮な茶葉を手に入れるために茶屋を覗くのが習慣になっているほどだ。
籐のソファに腰掛け、彼が淹れたご自慢のチャイを飲みながら、主とその想い人とは今日のこれからの予定についての話をし始めた。
「欲しいのって、物以外でも?」
ハリ、おいしかったよご馳走さま、と空になったカップをワゴンに戻して、空いた手でその金色の毛並みを撫でながら、高耶は隣に掛けた男へと小首を傾げた。
ハリは嬉しそうに喉をごろごろ鳴らしている。彼の本質が猫なのか虎なのかと言えば、まず間違いなく猫であろう。
「物でもことでも。私にできる範囲のことなら何でも言ってください。遠慮は要りません」
恋人に対して異常に過保護な魔法使いは、手巾を取り出して彼の口の端を拭ってやりながら頷いた。
「じゃあ、決まり」
にっ、と高耶が白い歯を見せた。
「―――今日は一日中オレの言うこと聞くんだ。いいと言わない限り、勝手に離れたりしたら許さないからな」
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かくいうわけで、丘の上の魔法使いは久々に丘を下りて、先導する恋人の飼い犬よろしく付き従っていた。
午後の市に繰り出した二人は、その珍しい姿に言葉を失う人々の間をすり抜け、街の広場から続く大通りを一本裏へ入ったところにある一軒の店の扉を叩く。
厚い木の扉を押し開けて、中へ入ると、チリンとベルが鳴って、小さな店の中に唯一の家具であるテーブルセットにどかっと腰を据えていた一人の男が戸口を見た。
「おぉ、いらっしゃい。珍しい顔ぶれじゃねーか」
時々遊びに来る少年と、その後ろから入ってきた長身の男とを見て、店の主が面白そうな顔になる。
「あらあ、お揃いで。引きこもりの薬屋を日に当ててやろうってこと?」
ほぼ同時に店の奥からも人の気配がして、部屋の隅にある出入り口の竹の簾をカラカラといわせながら顔を出したのは、情報屋という職業柄、身の危険が付き物である男の、護身役兼事務員である、二級魔法使いの綾子だ。
こちらも楽しそうな眼差しになって、戸口の二人連れを見る。
「勝手に人を引きこもりにするな」
眉を跳ね上げる一級魔法使いだったが、その同窓であった時期もある女魔法使いは全く取り合わない。男を無視した形で、その連れに飛びついていった。
「いらっしゃ〜い、よく来たわね〜」
ぎゅう、と少年を抱きしめて、じたばたする頭を撫で撫でする彼女を少年から引き剥がしたのは、半分青筋を立てたその保護者だった。
「むやみに触るな。お前の馬鹿力で抱擁されて白目を剥いて倒れた気の毒な同窓の人数を俺は忘れていないぞ」
「いったぁい!何よ馬鹿力馬鹿力って。あんたの方がずっと力あるくせに。
こんなのに毎日可愛がられてよく壊れないわねぇ高耶」
容赦ない力で引き剥がされた綾子は憤慨しながら男を睨みつけ、そして視線を少年に戻すと気の毒そうに首を傾げた。
しかし幼い少年には相手の台詞の意味が飲み込めない。心当たりがないのだから当然といえば当然であるが。
「下世話な勘繰りは止してもらおう。大体、高耶さんに触るときは細心の注意を払っている」
首を傾げてしまった少年をその言葉どおりそっと自分の懐へ引き戻して、保護者がため息をついた。
「あたしは高耶を心配してるだけよ。大事にしなさいよね、わざわざあんたのためにこの世界に残ってくれた貴重な恋人なんだから」
「お前に言われずとも。開花前の花に無理をするわけがないだろう。俺は自分の感覚が普通の人間と同じだと言い張るつもりはないが、気は長い方だ」
「……あら。そっか。さすがのあんたでも、まだ待ってるのね。悪かったわ、疑って」
「わかったらそのおしゃべりな口を何とかしろ」
「おしゃべりですって?失礼しちゃうわね。そういう台詞は『口から生まれた』男に言ってよ」
「あれは言っても無駄だ。職業柄仕方がないと思え」
少年は魔法使いの腕にすっぽりと納まって、頭の上で遣り取りされる会話に首をかしげている。
「……で、何の話?」
面白そうに見物を決め込んでいたこの店の主に視線を向けると、相手はひょいと肩をすくめて首を振った。
「お前の旦那は気が長いって話だ」
それは『口から生まれた』男にしては珍しい短い台詞だったが、極めてよく的を得た解答だった。
「ところで旦那よ。お喋りはいいが、何しに来たんだ?単に喋りに来たのかよ。俺様がたまたま暇だからいいけど、そうでなかったら用件は最初に言ってもらいたいもんだな」
もともとそれほどお喋りではないはずの直江も、綾子にかかるとすっかりペースを崩される。止みそうにない喧々諤々の遣り取りにしばらくは静観を決め込んでいた千秋も、そのうちに自ら口を挟む他に議論を止めさせる方法がないことに気がついた。
「あぁ、すまない。用件はあるといえばある。無いといえばないが」
段々わけのわからない方向に話が進んでいた直江と綾子の遣り取りは、千秋の問いかけでひとまず静かになった。
「謎かけか?普通に答えろよ。俺様は魔法使いの考えることなんかわからねーんだから」
不思議な答えを返した直江に、千秋がやれやれとため息をつく。
「ここへ来たのは高耶さんに連れられてきただけなんだが、今、用件を思いついた」
魔法使いの答えは別段謎かけでも何でもなく、ただ単に行き当たりばったりだった。
「へいへい。で、何だ?」
半ば呆れて続きを促す千秋に、直江は目で合図をして外へと誘った。
千秋はすぐにそれを察して、扉を押し開ける。
「直江?」
「ちょっと内緒話があるので、待っていてくれますか」
抱擁の手が離れ、少年が不思議そうに見上げてくるのを、微笑んで納得させる。
「今日はオレの言うこと聞くはずだぞ」
「ええ。だから、これはお願いです。すぐに戻ってきますから。いいですか?」
僅かに唇を尖らせた少年にまっすぐ目を見て頼むと、相手はふいっと目を逸らして頷いた。
「わかったよ。遅くなったら怒るからな」
「絶対、なりません」
「―――さて、内緒話を聞こうか。恋人にばれたくない話っていうからには、内緒にして驚かせてやりたいんだな?」
木の扉を出て、石畳の道を踏む。
洒落者の情報屋は煙草をふかしながら待っていたが、直江が出てくるとそれを口から離して言葉を紡いだ。
直江は頷いて、
「今日はあの人の誕生日だ。物品を欲しがる人ではないから、何か楽しめる場所へでも連れていってあげたい。そこで情報屋のお前に訊ねるが、最近で一番お勧めの場所はどこだ」
「そいつぁタイミングがよかった」
恋人を得て人が変わったような魔法使いの真剣な願いを聞いて、情報屋がきれいに微笑んだ。
「丘を越えた原っぱの東に小さい森と泉があるのを知ってるか?物より思い出、の恋人にはそこがいい。何たって今夜は何年に一度かの大層な流星雨が見られるんだぜ。最高だろ」
情報代は誕生日祝いということで、チャラにしとくよ―――と笑った情報屋に軽く頭を下げて、魔法使いは少年のところへ戻っていった。
・ ・ ・ ・ ・
その後、『何でも言うことを聞く』というルールに従って、市の馴染みの店やら軒を連ねた店舗やら果ては『魔女』の支店やらまで引きずり回された魔法使いは、日も暮れるころになって一つの提案をした。
「もう他に行きたいところはありませんか?」
「んーん。直江のびっくりする顔とか困った顔とか色々見れたし、高坂にも会ったし、あ〜楽しかった」
仲良く手をつないで歩きながら、夕暮れの風を受けて元妖精は気持ち良さそうに目を細める。何を思いだしているものか、その表情は小悪魔のように危険な笑顔だ。
「私を困らせたかったんですか?おやおや」
直江はそれを見て大仰なため息をついたが、その目は笑っている。楽しそうな恋人の姿が彼にとっても嬉しいのだ。
「……べつに、そうじゃない」
しかし、恋人はなぜか否定の言葉を口にする。
「え?じゃあどうして街中をこんなに歩き回ったんですか?高坂のところにまで立ち寄って……」
「でぇと」
高耶の答えはぶっきらぼうな一言だった。
「は?」
予想しない単語が飛び出してきて、直江はしばし言葉を忘れる。
僅かに赤くなって、その恋人が怒ったような声で続きを口にした。
「だから!街の中とか知り合いの店とか、一緒に歩き回りたかったんだよ。直江は滅多に外に出ようとしないから一度もしたことなかっただろ」
「じゃあ……今日一日とても楽しそうにしていたのは、純粋に」
直江はまだ、半分信じられない様子で口を開く。
「そりゃあ楽しいよ。みんな直江を見てびっくりしてたし。随分変わったからなぁ、直江」
「そう、あなたが来てからね……」
ふいに、魔法使いは故郷を捨ててここへ残ってくれた恋人を抱きしめた。
「―――?」
二人の周りにふわりと風が起こった。
最初は淡い春のような風が、そしていつしか周りが見えなくなるほど速い旋風へ。
けれど二人の髪や着衣が乱されることはなく、まるでガラスの壁を隔てて外側だけに風が渦を巻いているかのような状態である。
「なおえ、これ……?」
「少し、飛びます。怖くないから安心してください」
ふわり、と不思議な浮遊感が二人を包む。
「直江の風?」
「ええ」
綾子が『馬鹿力』と称した強い腕で恋人をしっかりと抱えた魔法使いは、久しぶりに使う大技に懐かしさをおぼえながら風に乗った。
「初めてだな……直江の魔法」
目まぐるしく変わる風景を見ながら、怖がるそぶりも不安な顔も見せずに安心して相手の腕に任せている少年が呟いた。
「歩いて行くには距離がありすぎますから。ずるをしますが、こんなときくらいしか使いようもないので」
「そっか」
いつもならば好奇心一杯に『どこへ行くんだ』と目を輝かせるはずの少年も、今はただ目を見張ってこの不思議な空の旅を楽しんでいるようだ。
自分の羽で飛べなくなってから、初めての空。
懐かしい浮遊感は、けれど前にはなかった安心感も伴ったものだ。そう、揺るぎなく体を支えてくれているこの腕があるから。
・ ・ ・ ・ ・
「なおえ……ありがとな」
静かな森の中、鏡のような泉のほとりで流星雨を全身に浴びながら、高耶は直江に言った。
一日中好き放題にさせてくれたことや、久しぶりに空を感じさせてくれたこと、そして、見事な星を観賞させてくれたこと。
そう―――自分の誕生日をこうして祝ってくれたこと。
色々な『ありがとう』が混ざったその言葉は、たった一言だったけれどその中身が相手にはすぐに伝わった。
「私こそ、いつだってあなたにはありがとうを言っていますよ……傍にいてくれて、ありがとう―――」
「今日はいっぱい歩いたな……けっこう疲れた」
言って、並んだ肩にことんと凭れて来た頭を抱き寄せると、眠ってもいいですよと囁いた。
すると、少年は眠そうな声で何ごとかを呟いた。
「……から」
聞き取れず、直江は眠りを妨げない程度の声で尋ねる。
「何ですか?」
「……めんな……もうちょっとしたら……時期がくるから」
「え?」
「そしたら……」
そこまで言葉にするのが限界だった。
言いながら眠りに落ちてしまった少年は一体何を言おうとしたものか。
「私なら……いつまででも待っていますから」
愛しそうにその寝顔の額にキスを落とした恋人には、ちゃんと伝わったようだった―――
若い木がやがて花を咲かせ実をつけるまで、毎日水をやって育て続けるのが、
わたし
恋人の仕事ですからね。
fin.
8/23
というわけで、これは「シアワセノジョウケン」の二人でした。あんまり振り回されている感じじゃない直江さんでしたが、ひさびさに情報屋の千秋とか綾子さんとか、ハリとか書けて楽しかった魁です。
読んでくださってありがとうございました。楽しんでいただけたなら幸いです。
(picture by KAI)