How Do You Want Me To Love You?






『何もしなくていいよ。ただ黙っておとなしく従っていればいい』

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 所はきちんと掃除の行き届いた気持ちの良い家。

「―――男に二言はないな?」
 これからディナーへ出かけます、という準備を万端に済ませた格好で、年齢層の異なる二人の男がテーブルの片側とその反対側について向かい合っている。
 その若い方、青年と呼べる年齢の男が、対する三十代半ばほどの男に念を押した。
 相手は大きく頷いて、
「もちろんです。何がほしいの?それとも、何かしてほしいことがありますか。何でもしますよ」
「―――おし、決まり!んなら早速行こうぜ」
 頷いた男ににまりと笑った青年は、その襟首を掴んで引き寄せると、立ち上がった。
 自然とこちらも立ち上がらされた男は、青年の意図を量りかねて瞬く。
「どこへ行くんですか?ディナーは?」
「ん〜、千秋んとこ」
 ごく簡単に答えた青年は、襟を離そうとせずにそのまま玄関へと突き進む。
 引き摺られるようにしてそれに従う男は、予想しない名前に出会って首を傾げた。
「千秋?どうして」
「いいから黙ってついてこい。何もしなくていいから、おとなしく従ってくれ」
「……わかりました。男に二言はありません」
 既に約束したことである。男はじたばたせずに従うことにした。


 若い青年は、この家の『主夫』である。そして、もう一人の男は名目上の家長。
 二人は幼馴染から昇格して恋人、伴侶とステップを踏んできた一組のカップルなのである。
 年かさの男が既に構えていたこの家に、主夫として青年が越してきたのはもう何年も前のことになる。それ以来この家から二人の声が途絶えたことはなかった。あるいは仲の良い笑い声が、時にはすれ違って喧嘩をする賑やかな尖り声が、そしてひそやかな仲直りの遣り取りが、この家にはしみついている。
 広告代理店に勤める忙しい男と、家計を引き受けて頑張っている主夫との生活は、ごく幸せなものだった。

 ところで、普段は主夫としてキリキリ働いているこの青年には、実はもう一つ別の顔がある。
 男が首を傾げた名前こそが、その隠れた顔に大きく関わっているのだった。

・ ・ ・ ・ ・

「はい、いらっしゃい。待ちくたびれたぜ」
 そのキーパーソン、『千秋』のスタジオに到着すると、いかにも待ちかまえていたという風の派手系の男が姿を見せた。肩を過ぎる長さの金髪に、オレンジ色のカジュアルサングラス、服装は流行を外さない柄のアロハ風シャツという出で立ちのその男こそが、千秋―――数多くの雑誌やポスターを撮ってきた気鋭のカメラマン・“CHIAKI”―――であった。

「一体何を企んでいるんだ、千秋」
 男が半ば睨みつけるようにして問うと、相手は肩をすくめて男の隣にいる青年へと顎をしゃくった。
「俺様がどうこうしようとしてるんじゃねーよ。全部そこにいるお前の愛妻の案。なんたってこいつの誕生日なんだからな」
 え?と傍らを振り向いた男だったが、
「誰が愛妻だ。オレは夫だ。妻は直江の方」
 じろっとカメラマンを見やった青年の瞳は、既にモデル“TAKAYA”に変わっている。

 そう、青年は主婦業の他に、モデルという顔を持っているのだった。ただし、表に出るのは後姿や顎から下だけなど、決して顔がわからないアングルのものばかりである。
 もともとがピンチヒッター的に初仕事をした彼は、その後もたまに“CHIAKI”の被写体になるのみで、マスコミに顔を知られるような表立った活動は行っていない。あくまで彼は『主夫』なのである。たった一人の男のためだけに家計を切り盛りする一人の主夫が、彼の望む素顔だった。

 顔もわからないのにその独特の存在感で名を知られたモデルを、普段は終始独り占めしている幸せ者の男は、相手の『妻は直江』宣言に反論したいのはやまやまだったが、そのモデル“TAKAYA”に天秤が傾いた目を見て、喉もとまで出掛かっていた言葉を引っ込めた。
 この目をしているときの高耶に迂闊なことを言うと、機嫌を回復するまでに時間が掛かるということを身をもって知っている自称『夫』(他称『妻』)の判断である。

 そんな男を気の毒半分、面白さ半分という顔で見て、千秋が肩を叩いた。
「ほれ、お前も支度だ、支度。さっさと済まさねーと大事な二人きりのディナーがふいになるぜ」
「支度だと?何だ?」
 横から男性顔負けの怪力でもって腕を掴んだ綺麗な女性に、行き先もわからず引き摺られながら、男は疑問を口にする。
「いいから黙ってついていけ。後は綾子が万事やってくれるから」



 ドレッサールームに押し込められた男は敏腕スタイリストの綾子にいいようにされ、出てきたときには何だか疲れた顔になっていた。
 ―――その顔が、大事な恋人を見つけてぱっと切り替わる。
「何だよシケたツラして。せっかくなのに」
 からからと笑いながら男を迎えた青年は、普段身につけることのない黒の正装になっており、胸元の白いシャツがまぶしい。
 同じく黒の正装にさせられた男は、滅多に見ることのできないその姿に目を見張っていた。
「お〜やっぱり直江はこういうのがキマるよな。うん、かっこいいぜ」
 青年は至極ご機嫌に彼へ近づき、襟元のあたりをぽんとはたいた。
 そこへ、パチリとシャッター音が響く。
「早速撮るぜ。適当に絡め」
 愛用の商売道具を両手で構えたカメラマン“CHIAKI”がファインダー越しに声を掛けてくる。
「―――撮る?」
 首を傾げる男を引っ張って、青年はスタジオの奥にある撮影部屋へと駆けて行った。


「ちょっ、高耶さん!」
 部屋の中には白と黒で統一されたセットが組まれ、シャープな大人向きの空気が満たされている。
 黒い革張りのソファに押し込まれた男が驚く間もなく、シャッター音が響いた。
「一体何が始まるんだ、千秋?」
「お前は黙って従ってればいいんだって言っただろ。つべこべ言わずにオレの言うことを聞け!」
 状況を図りかねてシャッター音の源へと視線を向ける男に、傍らに掛けてぐいっと首を引き寄せた青年が答えを返す。
「……はぁ」
 男は時々見せる相手の強引さには、長年の付き合いで既に慣れきっている。今回も、理由はともかくおとなしく従おうと心を決めると、彼は相手へと視線を戻した。
「それで、何をすればいいんですか?」
 問うと、相手は男の両肩を押しやってソファの背凭れに押し付けて、
「リラックスして座ってろ」
と言い、自分は姿勢を低くした。

「……高耶さん?」
 何をするのかと見ていると、青年は男の膝の上に顔を乗せて横になってしまった。
 猫が飼い主に懐くように、と形容するにはあまりにもけだるい瞳で、彼はカメラを見つめる。

 シャッター音は止むことなく響き続け、そのたびに青年は少しずつ姿勢を変えてはカメラへと視線を走らせた。

 男には段々相手の意図が読めてきた。青年は男とのツーショット写真を千秋に撮らせているのである。それが証拠に、青年の瞳は時折男を見つめては艶めいた光をきらめかせていた。

「―――おとなしくしていろと言われていますが、こちらから触れてもいいですか?」
 それならば、と男は膝に頬を寄せて懐く青年の髪に指先を滑り込ませた。制止の声はない。相手からも、周囲からも。

「私の写真が欲しいの?言ってくれればいつでも付き合ったのに。
 あなたは本当に照れ屋さんなんだから……」
 撮影の邪魔にならない程度の、ゆっくりした声で話しかけながら、髪を梳くような仕草を続けていると、膝の上にある瞳がふいにまっすぐに上を見上げてきて、男の瞳を射抜いた。
「……だって、直江、忙しかっただろ?大きな契約が二つ重なっててんてこ舞いしてたくせに」
 それまで膝の上に頭を持たせかけて横たわっていた彼は、ゆっくりと身を起こし、男の傍らに膝をついた。
 そうして彼は両腕を回して男の首を抱きこみ、誰にも渡さないぞとばかりにぎゅっと捕まえる。

「寂しい思いをさせてしまったんですね。すみませんでした」
「いや、仕事してるお前も好きだし。お前だってモデルやってるオレに見とれるって言ってくれるだろ。同じだよ。
 で、今撮ってもらってる写真は千秋に頼んでポスターにしてもらうことになってる。考えたらオレのはでっかいのが何枚も貼ってあるけど、お前の写真ってアルバムの中にしかないもんな」
「ポスターになんてしなくても、私はいつだってあなたのものですよ……」
「そんなこと言ったら、オレのポスターなんか部屋に貼らなくたっていいだろ。本物がいるんだから」
「あれは別です。あなたと喧嘩したとき、私はあのポスターのあなたに向かって謝罪の練習をしているんですよ。大事なものなんです」
「だったらオレだって、直江がいないときはポスターに向かって喋るから。いいだろ」

 傍目には他愛ない、しかし当人同士にとっては大真面目な遣り取りを交わしながら、二人は互いに縛り縛られる姿勢で、この世のほかの人間に挑戦するかのようにカメラへ視線を投げた。


 ―――カシャッ


 二人の視線がカメラを射抜いたその瞬間を、腕利きのカメラマンは見逃さなかった。





 数日後、忙しい男とその自称『夫』の暮らす家には、ソファにゆったりと腰掛けてスッとこちらへ視線を向けている大人の男と、その傍らからその頭を抱きこむようにしてこちらを鋭く射抜いている黒い豹のような青年とが大写しになった特大ポスターが届けられ、贈られた側を大いに喜ばせたのだった。



fin.

8/3
というわけで、これは「TAKAYA in TYPE-1」の二人でした。アンケートver.5のお礼小説として載せたお話の設定で、直江さん被写体になるの巻です。
読んでくださってありがとうございました。
(picture by KAI)