◎〃20030803 □□□-□□□□
残暑お見舞い申し上げます。
拙い小話ではございますが、
ひとときの涼楽を感じていただければ
幸いです。
管理人 魁あきらより
マギー・ディ ドリーム |
―――目覚めると、彼がいなかった。 急に暑くなり始めた八月の頭のある日、男は同居人と二人でリビングにて涼を取っていた。 控えめにきかせたクーラーの風の中でソファに腰掛けているうちに、あまりの心地よさから眠気を催していたようである。 気がつくと、自分は今まで眠っていたのだということが知れた。 そう。状況はそれでわかった。しかし問題は――― また、彼がいない。 自分が眠っていたのはそう長い間ではなく、殆ど数分程度だと思うのだが、隣にいたはずの同居人の姿はない。まるで煙になって消えでもしたかのように、すっかり気配が消えている。 そういえば少し前にもこんなことがあったような、と首を傾げつつ、男はソファを立った。 ……すると。 |
ぽてっ 音がした。 「……?」 今まさに立ったばかりのそのソファのあたりから、何かの物音がした。 小さくて軽いものが、しかし紙のような頼りないものではなくてお手玉のような重みのあるものが、転がったような音。 男は振り返ってみて、―――目を見開いた。 「……高耶さん!」 慌てて膝をつき、ソファの上を覗き込むようにした男の視線の先では、お手玉サイズの少年が「あいててて」とばかりに頭を掻きながら身を起こしたところだった。 |
「……今度は羊さんじゃないんですね」 男は小さくなってしまった同居人を手のひらにのせて、呟いた。 たしかあれは初夢。 同じように彼の姿が見えなくなったと思ったら、手乗りサイズで羊の着ぐるみを着た彼がベッドにいたのだった。 状況としては今とよく似ているのだが、今回は着ぐるみを着ていない。五六歳の子どもがよく着ているTシャツと短パンという出で立ちで、それだけを見ていると外で虫取り網を持って蝉を追い掛け回している姿を連想させる。 (まぁ確かに、夏に羊の着ぐるみは暑いでしょうね……) そんなことを思っていると、手のひらの上で彼が何かを訴えてきた。 「……どうしたんですか?え、台所?」 言葉を持たない小人の彼は、小さな手でしきりにキッチンを示している。 男はソファから立ち上がって、そちらへ向かった。 「ここに何かあるんですか?……冷蔵庫?開ければいいんですね」 男の手のひらの上で少年はこくこくと頷く。 言われたとおりに冷蔵庫の野菜室を開けてみせると、彼は手を伸ばして一点を指し示した。 |
「……スイカ?」 こくり。 「あぁ、そういえばさっき、スイカが冷えてるぜって仰っていましたね」 眠りに落ちる前の遣り取りを思い出して呟きながら、身をかがめた。 片手がふさがっているから、残る片方の手でそのよく冷えた緑色の球体を取り出す。 「切るのはさすがに片手では無理ですね。ちょっと肩に移動してくれますか」 調理台にまな板を敷いたところで一人ごち、彼を肩に乗せてやる。 素直に移動した小さな少年は、一瞬そこからずり落ちそうになって慌ててシャツにしがみ付いた。 「おっと、危ない。……気をつけてくださいね」 心配半分、からかい半分で笑顔を向けると、反撃が返って来る。 ぽかっ うるせーよ、とばかりに小さな少年が大きな肩を叩くさまが愛しくて、男はくすくすと笑った。 子ども扱いがキライなところは、突っ張っていた昔の彼を思い出させて、かわいい。 ―――今は甘えることが好きな、もっと可愛い恋人なのだけれど。 |
「……おいしいですか?」 リビングのテーブルの上に、大きな白い皿。 皿の上に、八分の一切れのスイカ。真っ赤に熟れて豊かな水分を滴らせている。 そして、皿の横に立っている小さな少年。 「はい、あーん」 赤い果肉をスプーンですくい取って差し出してやると、少年は両手でそれを押さえてかぶりつく。 食べ終わるとまた、スプーンの端を小さな手で掴んでじっと見つめてくるので、次の一口をすくい取ってやる。 再び両手に余る大きさの一欠片をかじり始める彼に、おいしいですか、と問うと、彼は満面の笑顔で応え、食べかけのその欠片を両手でこちらへと差し出した。 「……くれるの?」 こくり。 その笑顔があまりにも愛しくて、手を伸ばして彼を足元からすくい上げた。 |
「ありがとう、高耶さん」 彼を顔の前まで持ってくると、彼は両手を伸ばしてスイカを食べさせてくれた。 それはおそらくこれまでに口にした全てのスイカの中で、一番甘いひとかけら。 可愛い可愛い小さな恋人がおすそ分けしてくれた、優しいひとかけら。 おいしい?、と訊ねるように小首を傾げた彼に、キスを落とす。 小さくなっても変わらない綺麗な黒い髪に、ちょうちょのような軽いキス。 くすぐったそうにもがく彼をテーブルの上に下ろすと、今度は手でその髪を撫でてやる。 ぱふ、と叩いてみたり、指先でちょいちょいとくすぐってみたり、ひとしきりじゃれあって、遊んだ。 「あなたがこんなに小さくなっても、羊さんじゃなくなってもお猿になっても、やっぱりあなたが好きですよ」 小さな手を人差し指で恭しく持ち上げ、その甲にくちづける。 伏せた瞼を上げると、彼は両手でこちらの唇に触り、キスを返してくれたところだった。 「愛してますよ……―――」 その言葉が彼をあどけない笑顔にさせたのを確認したとき、幸せな夢は覚めた。 |
「……?」 唇が、冷たい。―――否、甘い。 最初に感じた違和感はそれだった。 「おーい、目ぇ覚めたか?幸せそうな顔して、いい夢でも見てたんだろ」 続いて落ちてきたのは、いつもの同居人の声。 「たかや、さん」 目を開けると、果たしてそこには普段と何ら変わりのない恋人の姿があった。 「ん……?」 名前を呼んで、うまく発音できないことに違和感を感じるのと、自分の口の中に入っている異物に気づいたのとは、ほぼ同時だった。 「うまいか?」 にこりと笑って顔を近づけてきた恋人が、こちらの唇の端をぺろりと舐めて、猫のように目を細める。 ―――そう、口の中にある冷たくて甘いのは、ついさっき話題に上っていたスイカ。 寝ている自分に悪戯するつもりで彼は一口分を押し込んだのだろう。 「おいしいですよ……ありがとう、高耶さん」 首を引き寄せて、お礼代わりにキスを贈る。 とても甘くて、優しい、スイカの味のするキスを、 愛しい恋人へ―――。 |