the guard 少年たちの溜まり場は、素早く主の息子を腕に抱き込んで背中で庇った男の向こうで爆発、炎上した。 爆風の風圧に耐えてその場に踏みとどまった男の腕の中で、少年は即死したであろう仲間たちの断末魔を幻聴に聞いた。 「お前は……っ!」 収まった風の向こうから吹き付ける強烈な熱に喉を焼かれながら、直江は叫んだ。叫んで男を殴りつけた。頑丈な胸板に拳を叩きつけ、小さな子どものように喚いた。 そんな直江をきつく抱きしめて、男は何度も繰り返す。 「信綱さま、これが私の覚悟です。あなたさまの過去は私が負いました。 どうぞ私をお憎みください。それでいいのです。私を憎んで強くおなりください」 繰り返し、男は直江の拳が力を失うまでそうし続けた。 その男が自分の後見人につくと知ったとき、直江はようやく、あの日の言葉の意味を知った。 一生、許さないという言葉が、後見人として現れた有吉への直江の第一声だった。 「何があってもお側におります」 有吉はそう返して、微笑んだ。 彼はその言葉どおり、橘の滅亡後もただ一人直江の側に仕え続けた。先代の仇をとったその日まで。 「お見事でございました」 すべてが終わったとき、有吉は帰宅した血塗れの直江を静かに見た。 「私を殺してくださいませんか。 あなたさまの憎しみの一切を、私の命と共にここで終わりにしてくださいませんか」 その手で殺してくれと頼んだ有吉に、直江は首を振った。 「どうして今更」 「私の命は先代の仇を全うするまでと決まっています。それは変わりません。だから、あなたさまの手で殺していただきたかったのです」 「馬鹿を言うな。お前は約束を忘れたのか?一生側にいると言ったはずだ。忘れたのか」 「私は四年前に死んでおりますよ。あれからの私は亡霊のようなものです」 「……そうか」 直江は顔をそらした。 い 「ならば、往ね」 語尾が震えずにいられたか、自信はない。 男が深く礼を取ったことを気配で知った。 「―――有吉はこれにておいとま致します。信綱さま」 最後の声は、なぜか幸せな響きを帯びていた。 扉が閉ざされた後、直江は口元を塞いでいつまでも彫像のように動かなかった。 有吉の死を知ったのは翌朝の新聞でだった。割腹自殺を遂げた壮年の男、身元不明、という内容の小さな記事。自分が起こした騒ぎの記事が大きく紙面を割いて、あの男の訃報は隅のほうに目立たず載っていた。 男は四年前に大火事で焼けた橘邸跡で倒れていたという。身元を示すものは一切持たず、身に帯びていた唯一の手がかりは辞世と思われる句一遍であった。 「契りてし若芽が時を望み得で 結ぶ白露誰ぞ払ふや」 その一行を目にして、直江は今度こそ慟哭した。 橘に殉じたあの男は、結局最後まで自分のことを思っていたのだ。自らの亡き後自分はどうやって生きてゆくだろうと案じながら、散ったのだ。その言葉には一度も嘘がなく、まさに一生の最後までを自分のために費やした。 慕って―――いた。 目の前で仲間を全て殺され、憎んで恨んでいつも全身で拒絶してきたあの男。けれどもいつの間にか背後にあの静かな気配がなければいられないようになっていた。 不思議な男だった。 深い教養と確かな理性とに裏打ちされた、厚みのある大きな男だった。どこか憧れてすらいた。あんなにも物事に動じない穏やかな男を他に知らない。 自分の青さにもそれゆえの無茶にも全身で対峙して、父親よりも父親らしかった。そして、先生だった。 体術、武術、一通りの学問、そして何より人間性を、教わった。いつも背中にいたはずのあの男の、背中を見て自分は今の自分になったのだ。 あの男が『死んだ』と称した四年間、自分と共にあったのはあの男ただ一人。橘の五本槍の一人であったあの男ではなくて、この四年間はただ自分と共にある一人の男だった。 二人だけの"team"だった。 喪えないただ一つの存在だった。 それが、喪って初めて言える本音だった。 言えばよかったのか。あのとき、泣いて縋ればよかったか。何もかもなくしてただ自分のためにだけ生きてくれと、言えば良かったか。橘に殉じるべきあの男の先を、俺が殺して負えば良かったか。 そうすればあの男は今もまだ、この背を守ってくれたか。 男のプライドもこの道の人間の貫くべき思いも建前も踏み越えて、ひれ伏して素直に請えば……? こだわりつづけた型を……本当は壊してしまえばよかった。 馬鹿なことにこだわって、こんな風に喪う前に。 総領と後見、そんな型を後生大事に守ることがたとえ男には幸せなことであったとしても、それを敢えて踏み越えれば別の関係があったろう。 できのよい総領を演じるのではない、気安い友人のように。 適度に厳しく適度に優しい後見役を求めるのではなく、年上の血族にするように甘え。 わざわざ言葉にせずとも、本当はお互いがどう思っているかは知っていた。敢えて最初の与えられた役割をなぞってきただけで。 傍目にはきっと馬鹿正直だと映るだろう。不器用だと笑われるだろう。 ―――それでも、互いをつないだ最初の型から抜け出ることは、ついにできずじまいだった。 お見事でした、と言った瞳を忘れない。 これで私の役目も終わった、と安堵し、同時に悲しむ色が、そこにはあった。 あのとき、あのときしかガラスの檻を壊す時はなかった――― 「あああああ……!」 どんなに声を上げても、窘める者はない。 そのように動揺を見せるものではありません、と言うべき声はない。 もう二度と。 あの静かな語り口を耳にすることはないのだ…… ふと、頬を濡らす熱さに気づいて直江は手のひらを当てた。 付着した露に見入って、呟く。 「白露……誰ぞ、払ふ……」 しばらくの沈黙の後に、彼は目を閉じた。 「……誰にも涙など見せない。誰にも拭わせたりしない……」 たった一人で生きてゆくのだと、彼は呟いた。 もう誰にも自分の支えにはさせない。 お前の心配は、必要ないよ……と。 一人でも生きてゆける。 泣いたりなどしないから、大丈夫。 ―――そして十年、直江は一人きりで生き続ける。 一本の間違い電話が、彼を目覚めさせるまで。 凍てついた長い冬から、氷を溶かすその日まで。 fin. |
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(photo by ダイナナジッケンシツ)