もうすぐ、恋人の誕生日がやってくる。
彼とその相手が一風変わった経緯で恋人同士になってから、初めてのその日だ。
高耶は心底惚れ込んでいるその相手の為に、その日を最高の一日にしようと画策していた。
手始めはその日のための贈りもの。
彼の恋人は或る大学で地質学の研究室に所属する助教授だった。滅多に無いほどのいい男で、見た目も性格も最高の部類だ、と彼のことを高耶は胸を張って言う。
尤も、彼の幼馴染の親友である譲に言わせれば、その男は些か研究に没頭しすぎの変人のきらいがあるという。
帰宅も九時十時は当たり前で、午前様ということも珍しくないほどなのだ。そのため、十歳以上も若い恋人の側にしてみれば時々さみしくなることもある。それを愚痴られる身の譲には至極当然の言い分と言えた。
けれど、それはやはり第三者からの目で見た話であって、当事者の高耶はといえば、あばたもえくぼ、とにかく心底年上の恋人が好きで好きでたまらないのだった。
帰宅して自分が来ていることに気づいたときのあの笑顔。
心を込めて作った料理を嬉しそうに平らげるときの労いの言葉。
どんなに待ちくたびれても、その様子を見るだけで全てが帳消しになる。
それどころか胸が熱くなって体まで伝染して、抱きつきたくなる。
実行したら少し驚いたように目を見張って、それからふわっと微笑んでくれる。そして、決して軽いとはいえないこの体を横抱きにすくい上げて寝室へ連れていってくれるのだ。
―――そんなことを回想していた高耶は、自分に向かってかけられた声に気づいて意識を戻した。
ここは都心に立ち並ぶ老舗デパート群の中の一つ。その一階を占める化粧品フロアのとある一角だ。
彼の恋人は香水をつけない。そもそも研究第一の男だから、そんな気障なところにまで意識をやっている余裕はないのだろう。
だが、高耶に言わせれば、こんないい男が何もしないでいるなんて勿体なさすぎる。
素の状態でもこんなにものすごくいい男なのだからもっと色々身の回りを整えて男ぶりを上げてやりたい、と思う気持ちは、そんないい男を他の人間の目に触れさせたくない、という狭量な独占欲をも上回ったのだった。
……何のことはない、単に自分の理想どおりに恋人をグレードアップさせて、そこに抱きつきたいのだ。またたびにすり寄る猫のように。
そこで、恋人大好きの高耶は相手に似合いそうな香りを探してデパートの香水売り場に来ていたのである。
先ほどの声は、ずらりと並ぶ香水の棚に熱心に見入る彼を見て売場の店員が近づいてきたものだ。
「どういったものをお探しですか?」
垢抜けた美人のその店員は、いかにも恋人のために何かを探していると見て取れる高耶に微笑ましさを感じたらしい。商売っ気以上に親切な態度で声を掛けてきた。
「贈り物で、普段香水をつけない奴なんだけど、何か似合うのを探そうと思って」
普段ならば初対面の相手に対しては無愛想で口数も少ない高耶だが、今回はそういうことを問題にしている場合ではない。
何と言っても彼の最愛の恋人のために贈りものを探しに来ているのだから。店員に悲鳴を上げさせるくらいには詳しく訊ねてみなければならない。
「相手の方はどのような方なんですか?可愛い感じの方?それともクールな感じの方?」
「ええと、オレよりずっと年上で、頭が切れて、顔もスタイルも最高で、しかも優しくて甘やかしてくれるような奴。可愛いというよりはかっこいい。オレより背が高いんだ」
大好きな恋人のことを思い浮かべながら一つ一つ特徴を並べてゆく彼を、店員が聞きながら不思議そうな顔になってゆく。
この青年よりもずっと年上で、(つまり三十代?)
頭が切れて、(つまりキャリアウーマン?)
顔もスタイルも最高で、(つまり颯爽としたキャリアウーマン?)
優しくて甘やかしてくれる、(かなり母性的?)
可愛いというよりはかっこいい、(男っぽさも持った女性?)
しかも、この青年よりも背が高い女性……
……。
一瞬宝塚の男役がこの青年の隣にいるの図を想像してしまったその店員は、目を白黒させながら慌ててその恐ろしい絵を頭の中から追い出した。
「そ、そうですか。では、こちらのようなものはいかがでしょう?」
気を取り直して彼女は高耶をテーブルに誘った。
白い天板の上に幾つかの瓶を並べてゆき、それらを一つ一つ取り上げてムエットに吹きつけていった。
JAZZ(イヴサンローラン)
サムライ・ウーマン(アランドロン)
プワゾン(ディオール)
シャネル・19番
:
等々。
並べられてゆくそれらを嗅ぎながら、高耶は内心で大爆笑していた。
目の前の店員はさぞかしインパクトの強い大女を想像していることだろう。
しかし実際には自分の恋人は男なのである。
「メンズからも選んでもらえます?」
助言を入れると、相手はすぐに反応してくれた。
「たしかにお話のような方でしたらメンズの方がお似合いかも知れませんね」
突破口を見つけてほっとする気持ちを経験でカバーして、その店員は素早く方向転換した。
また幾つか並べられた瓶と、白い紙の一つ一つに、高耶は手を抜かず挑みかかる。
大好きな恋人のために選ぶものなのだから、どんな細かいことでも妥協なんてしない。
何度も嗅いでは首を振り、を繰り返していた彼が、ふと一枚のムエットに表情を動かした。
つんとする鋭さの後にふわっと漂う、甘い香り。
優しい甘さの中に、ひとすじふたすじ立ちのぼる色気―――。
「これは?」
顔を上げて問うと、店員はそのムエットを僅かに鼻先に近づけただけで香りを嗅ぎ分けて、すらすらと答えた。
「シャネルのエゴイストプラチナムです。女性がつけると『媚びないセクシー』。白檀ベースで、バニラやウッディ、スパイシーも加えられています」
キリッとした中にも優しさがある独創的な香りですよ、と彼女は続けた。
優しくてきりりとした女性だそうですから、お似合いかもしれません。
先ほどの慌てぶりをきれいに押し沈めて微笑む彼女に、高耶はこちらも笑みを見せた。
あの優しくて鈍感で、でも誰よりもかっこいい男には、最高にぴったりだ。
「それにします」
即座に決めた。
直江はこちらのことを大事にしすぎて甘やかしすぎる。
寛容さも嬉しいけれど、本当はもっと我が侭を言ってほしい。
もっと自分に対してエゴを見せてほしい。
だから、―――エゴイスト。
03/05/03
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