bitter or sweet ?


「……風邪です」
体温計を睨んでいた直江が、重々しく宣言した。

「……やっぱり?あ〜、しくじったなぁ」
ベッドの上に身を起こした高耶が少し掠れた声で呟く。
「だから言ったでしょう、ちゃんと長袖のパジャマを着て寝なさいと」
腕組みをしてお目付役らしく諭す男に、ちぇっと舌打ちして反論する。
「だって、暑かったんだもんよ。Tシャツだとラクだし」
「いくら暖冬と言ったって、冬は冬なんです。半そでのTシャツ一枚なんて、風邪ひいて当然でしょう」
いつまでたっても終わらなさそうな男の説教にうんざりして、高耶は手をぱたぱた振ってむすっと横を向いた。
「あ〜もう、わかったから。オレ寝るからあっち行け」
「はいはい。ちゃんとおとなしく寝ててくださいね」
体を横たえようともせずにドアを示す彼に、直江は子どもを心配する親のごとく、そう言い聞かせる。
「子ども扱いしてんじゃねーよっ……ゴホゴホッ」
ますます苛立って、くってかかろうとした高耶は、無理が祟って激しく咳き込んでしまった。
「ほら咳が出てる。もう喋らないでいいから寝てなさい」
苦しそうな相手を無理矢理ベッドの中へ押し込んで、直江は掛け布団をきちんと掛けてやった。



「う〜」
ゴホゴホと咳込みながら、高耶はベッドの中をごろごろしていた。
熱くて苦しい。熱自体はあまり高くないのだが、どうにも体がだるくて喉の痛みがひどいのだ。
つらくて苦しくて、いつのまにか彼は直江を呼んでいた。
声にならない声で、喚んでいた。

苦しいよ……直江ぇ……

自分で追い出しておいて何だが、やはり一人にされるとつらいのだ。
まるで、世界中から見捨てられた気になる。
誰も、苦しんでいる自分になんか気づいてくれない、そんな気になってどうしようもないのだ。

一人にしないで。
ここにいて―――


「―――大丈夫ですか?」
それが通じたのか、相手がドアを控えめにノックして中へ入ってきた。
高耶はもぐりこんでいた布団から顔を出して、待ち人の方へ目を向ける。
濡れた黒い瞳に、直江は驚いた様子で駆け寄った。
「どうしたんです !? 」
その双眸に宿る色に安心して、高耶は胸が晴れるのを感じた。

ここに一人、心から自分を案じている人間がいる。
確かな思いをあふれるままにたたえたこの瞳が、自分を救う。

「……喉が、苦しい」
甘えたくて手を伸ばすと、すぐに握り返された。
「ああ、ひどそうですね……
トローチを買ってきたんです。舐めていてください」
相手は残った手に持っている固形トローチの箱を示してこちらを見ている。
「……トローチ、きらい」
あの苦味と甘みの混ざった味が気持ち悪いのだ。
普段なら目を瞑って飲むのだが、今は敢えて甘えたかった。
いやいやをする高耶に、直江は困った顔をする。

「わがまま言わないの」
「いやなものはいやなの。まずいんだよ」
「喉がつらいんでしょう?口に入れてください」
「なおえぇ〜」

熱のせいか、いつもより甘えたい気持ちが前に出ているらしい。
聞き分けの無い子どものように首を振り続けられて直江は困っていたが、相手がうるんだ瞳に懇願の眼差しを浮かべて手を握ってくると、しょうがないなと破顔した。

「体を起こしてください」
言って、普段よりも体温の高い相手の体の下へ手を入れると、上半身を起こさせた。
すると、相手はそのまま胸に抱きついてきた。
仔猫が母親にすり寄るように、彼は直江の胸にぺたりと張り付く。

「困った人ですねぇ。……しょうがないから、こうしましょう」
直江は愛しげに目を細めると、箱の封を切って自分の口にトローチを放り込んだ。
高耶は不思議そうな顔をしてそれを見ている。
「お前が食べてどうするんだよ?」
「確かに、まずいんですよね、これ……」
呟いてしばらくそれを舐めていた直江は、やがておもむろに相手の顎に手をかけて仰のかせた。
「ん?」

純粋な疑問を浮かべた相手に唇を重ねて、口移しに、半ば溶けたトローチを相手の口中へ押しやる。
さすがにこの状況下では拒否できずに、相手は素直にその甘苦い塊を受け入れた。

「……んんっ」
そして、そこでやめずに、そのままゆっくりじっくり相手をとろけさせると、すぐに体から力が抜けた。
しばし、甘苦いキスに酔う。

「ん……もぉ、いきなり……」
やっと離れた後、病人はうるんだ瞳で相手を見上げた。
怒っている様子はない。ただ、ちょっと不意打ちだったので拗ねているのだ。
そんな相手の気持ちが手にとるようにわかって、直江は微笑む。
「甘えてきたのはあなたでしょう?―――甘やかしてあげますよ、いくらでも」
「こういう意味じゃ……」
手加減なしの微笑みを向けられて今さらながらに照れる相手に、
「―――トローチ、舐められたでしょう?」
「あ、そういえば……」
ぱふっと頭に手を置いて瞳を覗きこむと、素直に肯いてくれた。
軽く首を傾げる様子が可愛くてならない。

「ほんとだ」
舌で探ってみると、いつのまにか固形物はすっかり溶けて小さくなっている。
「……甘かったでしょ?」

―――ぬけぬけと言ってのける男の瞳があまりにも優しくて、現金にも喉の痛みが消えた気がした。



bitter or sweet ?―――sweet & sweet * * *